2019年1月7日月曜日

県内にも国宝はある!

日本の国宝とは文化財保護法によって国が指定した重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものを指す。
法律の観点では国宝は重要文化財の一種であり、国宝の分類には建造物(神社、寺院、城郭、住宅等)、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料・歴史資料がある。

国宝といえば建造物をイメージするのだが、県内には残念ながら建造物の国宝はない。北陸では小浜市の明通寺と高岡市の瑞龍寺が国宝建造物である。
全国の都道府県で国宝がないのが群馬・徳島・佐賀・宮崎の4県だったが、群馬の富岡製糸場が世界遺産に認定されめでたく国宝となった。
で、石川県には国宝がないと思っていた。ところが美術工芸品の国宝が2点あるのが分かった。自分の知識が足りなかっただけなのである。



県の資料によれば
鎌倉時代に作られた銘吉光という刀剣が白山比咩神社にある。
国宝銘吉光
この剣は、日本刀剣史上、剣の遺作のなかで最も著名なものである。形状は、両鎬造できわめて優れ、小振りではあるが品位があり、両面鎬の上に樋を掻き、茎までとおしている。鍛は、小板目がよくつんで細かい美しい梨子地肌をあらわして地景が交じる。刃文は、直刃調で小乱れを交え、小沸がよくついて小足が入り、吉光の特色を十分にあらわしている。しかも健全無比で、定評に価する名剣である。

藤四郎吉光は、室町時代より相州五郎入道正宗と並んで名高く、江戸時代には正宗・江ノ義弘とともに三作と呼ばれ、大いに珍重された刀工で、鎌倉時代の京都粟田口派の刀工のうちでは最も有名であり、とくに短刀や剣の作刀に優れた手腕を示している。

この剣の伝来は、徳川家光の養女阿智子(徳川家圀の姉、清泰院)が、加賀藩4代藩主前田光高に嫁した際の持参品で、清泰院が死去した翌年の明暦3年(1657)に、子の5代藩主綱紀が、母の冥福を祈って白山比咩神社へ奉納したものである。 

もう1点は県立美術館蔵の色絵雉香炉である。
国宝 昭和26年6月9日指定
ほぼ等身大の雉の形をした香炉で、飛び立つ寸前の姿を写し、気迫に満ちた緊張感あふれる作品である。背部と腹部の上下2つに分かれ、腹部の内側に高い合口がたって、背部がかみ合うようになっている。蓋になる背部には4個の半月状の煙出し穴があいており、香炉としての機能を見せている。 
素地は、わずかに黄色味をおびた一面にあらい貫入がある陶体で、そのうえに緑・紺青・紫・赤・黒・金の絵具を使って、目・とさか・耳・羽根・羽毛などを、豪華に極彩色で描いている。古来、仁清の彫塑的作品の代表的傑作として広く知られる名品である。
作者の野々村仁清は、丹波国桑田郡野々村の生まれで、名を清右衛門といい、京都に出て御室の仁和寺の門前で開窯したところから、仁和寺の「仁」と通称の清右衛門の「清」をとって、「仁清」と称したと伝え、これを作品に用いており、この作品にも、背部と腹部の内側に、それぞれに仁清の刻印を押している。生没年はいまなお詳らかでないが、万治2年(1659)には、陶工としての最高の栄誉である播磨大掾藤原正広入道となっており、最も活躍した年代は江戸前期頃と推定されている。 

だが、国宝はこの2点だけではないのである。石川県が誇る人間国宝が9人も活躍中なのである。
石川県内在住の人間国宝は過去最多タイの9人となり、工芸技術部門では京都の10人に続き、東京と並ぶ全国2位となる。

妙成寺五重塔
妙成寺を国宝に認定されるよう運動が開始されたという。是非、建造物の国宝が県内に認定されるよう望むものである。というのも、中学1年生だった頃、金沢から汽車で七尾線羽咋駅まで行き、そこから北鉄奥能登線に乗り入れて柴垣駅で下車した。そこから妙成寺まで歩いて行ったのである。


もう60年以上前の記憶である。懐かしく蘇った。


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