2019年1月18日金曜日

遺跡の出土品

埋蔵文化財の発掘調査に関わっていた平成12年に、国道8号線バイパス築造に伴う津幡町地内の加茂遺跡発掘調査で平安時代の立て札が発掘された。この立て札に書かれていた内容が面白い。百姓は日の出とともに働けとか、魚を食べるなとか、当時のお役所が百姓を対象にした「命令書」なのだ。この立て札は歴史博物館に展示してあるという。


昨日、こんなニュースがあった。
県文化財保護審議会は16日、金沢市が所有する「堅田(かたた)館(やかた)跡(あと)出土品」を県有形文化財に指定するよう県教委に答申した。堅田館跡は堅田町に位置する鎌倉時代~室町時代の遺跡で、陶磁器や武具、遊戯具などの出土品計732点が対象となる。地方武士の生活様式を知ることができる希少な考古資料と評価された。

堅田は町内から2kmくらいの近いところにある。そんな場所で平成8年から3年間金沢市埋蔵文化財センターが調査したという。その頃は自宅を新築中だった頃から引っ越しして2年後まで調査していたことになるが、こんな調査が行われていたとは全然知らなかった。


 堅田館跡の発掘調査は1996(平成8)年度~99年度に市教委によって行われ、大規模な堀や井戸跡などの遺構が確認された。外敵の侵入を防ぐための堀が巡らせてあり、有力な地方武士の屋敷であると推定される。

出土品
 出土品は主に堀から発見された。中でも、「巻数(かんじょう)板(いた)」と呼ばれる般若心経を墨書きした長方形の板は、門前につり下げて世の平穏を祈る年中行事に使われていたとされ、良好な状態で発掘されたのは全国的にも珍しいという。
巻数板は3点あり、そのうち2点は目立った損傷もなく、表面の文字は赤外線を照射すると判読できる。いずれもスギ材で、それぞれ1263(弘長(こうちょう)3)年と1251(建長3)年の年号が記されている。もう1点は破損が激しく、制作年などは不明。


このほか、珠洲焼や中国の青磁、天目と呼ばれる高級な茶器なども大量に見つかった。木製品では馬具や羽子板、金属製品では鍋、石製品では碁石などが出土している。

豪族の住まいの模型
遺跡の見学は業務上の関係で方々へかなり行ったことがある。青森の三内丸山遺跡にしろ、九州吉野ケ里遺跡は何せ広大で大規模であった。不思議に思うのは、かなり高級な出土品が沢山あることである。そこで暮らしていた住民は突然の敵の襲来で逃げるのに必死だったのだろう。あるいは思いがけない天災に襲われたのかも知れない。そうでないと高級な品物が発見される説明がつかない。

発掘された状態を復元した加茂遺跡のぼう示札
加茂遺跡の当時住んでいた役人は、どうして食器類とともに立て札を捨てたのだろうか。
あれやこれやと想像すると楽しいなぁ。 

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