2019年1月28日月曜日

バスのガイドから聞いた話

4カ月前になるが、新千歳空港からバスに乗り6時間もかかる稚内に向かって走行している時、バスガイドがいろいろ話をしてくれたのだが、その中で「エェッ」と驚いたことがあった。
バスガイドは北方領土問題について、「ソ連は終戦の直前に条約を破棄し対日戦を開始した。そして国後等北方領土を占領した。」



国後まで16km 自分の目で確かめた
「現在は平和条約の協議で北方領土問題が取り上げられているが、実はそれだけではなくて釧路から留萌を結んだ留萌・釧路ラインを設け、その北方を占領する計画があった」という話を聞いたのである。これには大変驚いた。

ネット検索でこんな図面を見つけた
この侵攻作戦は北方守備隊の激烈な抵抗にあって、遅れを生じたため実現しなかったという。もしこんな状態になったとしたら、もの凄く悲惨な状況となり大混乱となったと想定される。

で、74年前の出来事をもっと詳しく知りたくなって調べてみた。
北方四島には、かつて多くの日本人が暮らしていた。1855年に調印された日魯通好条約で、択捉島とウルップ島の間が日本とロシアとの国境であることを確認しましたが、日本がポツダム宣言を受諾した後の1945年8月28日から9月5日までの間にソビエト連邦は北方四島を占領した。1946年に一方的にソビエト領に編入し、1948年までに北方四島に住んでいた約1万7千人の日本人を強制退去させた。今日までロシアによる不法占拠は続いているのである。

平和条約とは日本とロシア (旧ソ連) 間の,北方領土問題をはじめとする戦後処理を行い,戦争状態を終結させるための条約。 1951年のサンフランシスコ講和条約への調印をソ連が拒んで以来,締結されないまま今日に至っているという。

そして先日、安倍首相がロシアで協議をしたのだが、具体的な進展はなかった。
平和条約交渉でラブロフ外相が「第2次世界大戦の結果を認めろ」と迫った。経緯から占領は不法そのものだが敗戦国はドイツ・イタリア・日本だけで圧倒的に連合国側が多いからソ連の不法を咎める者がいないのだ。
結局、4島返還は実現せず歯舞・色丹の2島だけでも返還されれば上出来とする意見が強くなってきた。
今後の成り行きが注目される。


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