2017年3月7日火曜日

続・東京漫歩:新都庁完成2年後の展望台へ

研修センターがあった板橋といえば、加賀藩邸があった縁で現在も板橋区と金沢市との交流が盛んである。
が、私が研修にいった当時は悔しながらも、金沢とそんなゆかりのある地域だとは知らなかった。
地図を調べると確かに「加賀1,2丁目」という地名があり、また加賀〇〇公園という名称が付けられた公園がいくつもある。そんなことを知っていたなら、ゆかりの地をこの目で確かめたかったと反省するばかりである。

平成5年の研修当時、東京都庁が新宿副都心に完成したのが平成3年だったので、まだ2年しか経っていないピカピカ状態だった。
そこで、研修期間の初期に新都庁に行ってみようと思い立った。
新宿駅へは以前にも国鉄在職中に何度か訪れたことがある。構造物設計事務所という内部機関があったので、金沢鉄道高架事業関係で構造物設計の指導や審査を受けに何回か通った。そこへは、いつも甲州街道に面した南口を利用した。

東京都庁へ向かうには、西口からが近いので初めてそこを歩いた。西口から大通りを1直線で400mほど歩き都庁に着いた。途中の京王プラザビルはこの界隈でも古手のビルとなった。
そして都庁が吾が眼前に。外装が細かいので高さが一層際立って見えた。
存在感は断トツ!
展望台はイースト館とウェスト館の2か所にある。で、東京港方向が良く見えるイースト館を登ることにした。

地上45階、高さ202mの展望台へは高速EVですぐ着いた。観光客はそんなに多くはないので、ゆっくり全周を回ることができた。建設中の新築ビルがいくつか認められた。

新宿副都心となる以前の土地利用はどのようだったのかを調べてみた。
そこは淀橋浄水場と言われる東京都水道局の施設であったことがわかった。
都庁移転前の淀橋浄水場全景
新都庁は正にこのど真ん中に建てられた。展望台から眺めてもそんな施設があったなんて微塵も感じられなかった。
新幹線で間もなく東京に到着という頃、車窓の左手にやたらペンキが塗り重ねたような木造の都庁が見えたものである。

大東京といえども、現在から30年ほど前までは「大規模な地方都市」といえる街であった。


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