2017年3月18日土曜日

歴史的遺産との関わり(その2)

山川町に位置する埋蔵文化財センターでは、県内各地の発掘調査で発掘された出土品は、まず水槽に入れられて調査の都度それを取り出して観察する。水槽は大小様々。我々素人は覗いてみるだけである。大勢のパートのおばちゃんたちが忙しそうに調査観察している姿がある。

金沢市内だけでも遺跡は多くある。その中ではチカモリ遺跡が縄文文化の想像をたくましくしてくれる。ここでは巨柱が復元された。最近、真脇遺跡でも巨柱が復元された。
この巨柱なるもの、全国津々浦々の遺跡に残っているのが不思議なのだ。
チカモリ遺跡の巨柱

真脇遺跡の巨柱
全国建設技術者協会の講習会は青森から参加したことは先に述べた。
その講習会で、三内丸山遺跡を訪れた。そこも縄文時代の遺跡で竪穴式住居や大規模な集会所の建物のほか、巨大な柱が立っていた。
三内丸山遺跡全景
縄文時代とは思えないほど大規模空間の建物
佐賀県で開催された講習会でも吉野ヶ里遺跡の見学が組まれていた。
遺跡の中では断トツの規模を誇る
ここにも巨柱があった
長野諏訪神社の御柱も縄文文化の名残であるとする学説がある。
遠く離れた出雲大社でも、とてつもない巨柱の構造物があったとされる。
物見やぐら説もあるが、信仰儀式の場であったとする説も有力なように思う。
巨柱で組まれた建物内部・儀式?
これだけのものを造る縄文人の熱意は何から生まれるのだろう。巨大な礎石の据え付け、巨木の運搬、加工、建てつけ、どれ一つとて道具、機械もない時代に注がれたエネルギーの源が知りたいと思う。
日本人の精神文化の原点を見極めるためにも、縄文時代の巨柱文化の研究が進むことを大いに期待したい。


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