2017年3月2日木曜日

東京漫歩(その9)浜松町~NEC~泉岳寺~品川界隈


浜松町駅と言えば羽田空港までの東京モノレールの始発駅である。少なくとも1度や2度は浜松町駅で乗降された方も多いことであろう。駅に隣接して現在物議をかもしている東芝本社ビルがある。日本を代表するあの大企業が倒産の危機にあるという。
伊豆大島行きの竹芝桟橋もここから400mくらいの位置にある。

さて、今回は浜松町駅で下車して品川方面へ歩くことにした。
徒歩ルート
駅の直ぐ前に世界貿易センタービルがある。かつてはこの界隈で最も高かったビルで、以前このビルの最上階の展望室に訪れたことがあった。

駅前から増上寺付近の公園あたりで左に折れ、しばらく歩くとスケールの大きいビルが見えたきた。ビルの前でそれはNEC本社ビルであることが分かった。
デザインが素晴らしい
PC98のシェアーはどれ程だっかのかは調べてないが、世界的なブランドに育ったことは違いない。私でさえ98を持っていたのだから・・・。
だが、先の東芝ではないが、NECも中国・台湾や韓国メーカーの台頭で元気が無くなった。是非もう一度世界に勇躍してほしいものである。
そうこうしている内に泉岳寺に着いた。
泉岳寺山門
泉岳寺は赤穂義士の菩提寺として余りにも有名であるが、現在も多くの人が訪れ、義士の墓苑で線香を手向けている姿があった。
義士の墓が43基ある境内
このお寺は徳川家康が外桜田町に創建したものだが、寛永の大火で焼失し現在地に再建された。
東京大空襲でも戦禍に遭遇し、山門・義士館(旧義士館=現講堂)以外の諸堂が焼失し、歴代の功業は大いに削がれてしまったが、次の42世祖天凖爾和尚は戦後の苦境の中に諸堂の再興を発願し、遂に昭和28年(1953年)に本堂の再建を果し、以後これが継承されて現在に至っている。現在も伽藍・境内等の整備が戦後復興の一環として続けられている。
講堂には赤穂義士が討ち入りした衣服や用具が展示されていた。衣服には当時のままの名前が記されていた。これらの展示品がそっくり移転されたという。

平成13年に義士討入り三百年を記念し、浄財を募って浅野家の塋域(史蹟)を整備し、新たに赤穂義士記念館が建設されたという。
寺宝と共に大石良雄の書状をはじめとする赤穂義士関係の資料を展示して、赤穂義士の已むに已まれぬ心情を伝承することに資してるそうだ。

そこを出てしばらく歩くとJRの広大な線路敷が見えてくる。そこは田町電車区で端から端まで2km余に及ぶ。行けども行けども線路敷・・・の状況が続いた。
停車場配線図
この図面は停車場配線図といい、配線計画を行うときに必ず作成される。東海道本線を挟み、上下貨物仕訳線や電車留置線、転車台等が示されているが、現在は必要最小限の線路だけを残して再開発事業が実施・完成したり、田町新駅建設と都市開発事業構想が固まり、建設工事が動き出している。
何せ広大!
かなりの時間歩いた。やがて品川駅前となって右に品川プリンスホテル系のビルが見えてきた。

この10年後、東京出張でこのホテルに宿泊した。レストランで朝食していた時、どこの方言だろう?と耳を傾けたら韓国語であった。見た目は全く分からない風貌なのだが、日本人より多いのではないかと感じた。
品川駅に入って、長い通路を通り港側の出口に立った。うらぶれた佇まいの駅前風景だったが、10年後再び訪れて余りの変貌に驚愕した。そこは高層ビルがひしめく近代的風景となっていた。

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