2019年5月21日火曜日

花嫁道中と縄張り

昭和30年代まで、奥能登地方では道路に縄を張って花嫁一行を待ち構えていて、祝儀を貰うまで縄を解かなかった。これを花嫁道中の縄張りといい、青年団員が仕切っていた。
花嫁が在所を出るとき、在所のみんなが、嫁に行ってしまうのか、寂しいよ、行くな、行くな、と通せんぼした。

縄を張って通せんぼ
一方、嫁ぎ先の在所でも、縄を張って待っていた。花嫁の身内の者が、先を歩き、どうぞ、これから仲間に入れて、可愛がって下さいね、嫁様をどうぞよろしくお願いします、そう言って、通せんぼしている人たちに、ご祝儀を「撒いて」縄を緩めて通らせてもらった。

これあげるから通してねと子供にご祝儀を
先日、そんな光景が思い出される新聞記事に接した。
「縄張り」結ばれる2人 能登町で花嫁道中
旧柳田村五郎左エ門分で十八日、婚礼の儀式「花嫁道中」があり、地域住民が縄を張って通せんぼする能登地方の風習「縄張り」が行われた。新郎新婦は伝統的な手荒い祝福を受け、より一層幸せをかみしめた。

ご祝儀が出るまで緩めないわよ
新郎は地元出身の佐小田(さこだ)孝一さん(29)、新婦は東京都八王子市出身の智子さん(25)。二人とも日本体育大(東京)陸上部で棒高跳びに取り組んだ。孝一さんがコーチとして智子さんと関わり、付き合いが始まった。昨年十一月に結婚し、金沢市で暮らしている。

智子さんは佐小田家近くの道路で住民が仕掛けた紅白の縄をまたいでゆっくり前へ。沿道から届く「おめでとう」の声に会釈し応えた。途中で赤色の和傘を持った孝一さんと合流し一緒に家まで向かった。

無事通過
智子さんは「祝福されてうれしかったけど、見聞きしたことがなかった風習に恥ずかしさや驚きもあった」と振り返った。孝一さんは「いろんなことに挑戦し、笑顔の絶えない家庭を築きたい」と話した。家で先祖や親族に結婚を報告した後、町内で式を挙げた。 

そういえば10年ほど前だったか、柳田村長を長く務められたYさんから、「松波から婿さんが来られるとき縄張りが何か所もあって、その都度ご祝儀を弾んだ」と話されたのを思い出した。

子供の頃、お嫁さんを迎える家に行って到着を待ったが、なるべく縄張りの人がいなくなる深夜にようやく花嫁さんが着くような調整が行われたので、待ちきれず帰宅したことがあった。
当時の縄張りは、県道であっても堂々と縄張りは行われた。タクシーの助手席に乗った人がその都度ご祝儀を「撒いて」縄を撤去してもらった。今時そんなことをしたら逮捕されるだろうなぁ。

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