2019年5月27日月曜日

時国家の対面2kmに佇む美術館

確かその名を南惣集古館と称していた二十数年前になるが、家族で時国家を観光した際にその近くに大野地区の名主を何代も続いた家に、国宝級の美術骨董品があると聞いたので初めてそこに行ってみることにした。
そんなに期待して行った訳ではなかったが、物置を改装した展示場所に陳列してある品々は国内でも稀な美術品ばかりで、「エェーッ、何でここにこんなものがあるんか?」と驚いた。

それは数々の素晴らしい展示物に対して、美術館の知名度が極端に低いことにあった。
集古館を南惣美術館と改称して今に至っているが、それ以降の知名度は着実に向上している。

南惣美術館入口
南惣(なんそう)」はかつての奧能登大野村の天領庄屋だった。歴代当主が惣右衛門、または宗右衛門と名乗ったことから南惣と呼ばれてきた。南惣家は、鎌倉期以前より今日まで続いている。地主としてアテの木(能登ヒバ)を産出する山林を所有していたので、徳川幕府の天領として、地の利を得ることが出来た。

能登には天領があちこちに散在している。旧柳田村黒川や門前町黒島も天領だった。外様大大名の監視が厳しかったことが伺われる。
南惣の田畑、山林は、米、材木、木炭を多く産し、山林から出る間伐材は燃料として、製塩や製茶、養蚕も手掛けてきたという。
南惣はそれらの産物を、天然の良港である曽々木、名舟、輪島の港から北前船に積んで商い、越中越後の米、会津蝋、小麦などを商っていた。(曽々木が天然の良港とは・・・・ ?)

白壁の建物が美術館 隣りが母屋(おみやげ等が売っている)
南惣の歴代の当主は敬神崇祖の念に厚く、文化の移入を尊び、美術、茶道を愛好したことから、日本、中国、朝鮮を主とする絵画、書、漆芸、金工などの美術品を収集してた。
その中には、宮中に新殻を献上し拝領したものや、東本願寺阿弥陀堂再建(明治28年)にケヤキ材を献納し、その見返りとして受領したものもあった。

南惣家の美術品は散逸することなく今日まで大切に保存され、昭和46年に米蔵を改装して、「能登集古館 南惣」を開館、収蔵品200余点を公開。平成12年「南惣美術館」と改称して現在に至っている。


美術や骨董に興味のある方に、是非一度は足を運んでいただきたい。南惣(なんそう)美術館は、およそ400年にわたって収集された絵画や骨董品などが約250点展示されている。
収蔵品は、雪舟に俵屋宗達(たわらやそうたつ)、野々村仁清(ののむらにんせい)など美術史に名を残す作家ばかり。南惣美術館は作家の息づかいが間近で感じられ、美術愛好家にはたまらない場所なのだ!

絵画では俵屋宗達が描くみずみずしいたらし込み技法を用いた屏風に、長谷川等伯や雪舟が描く繊細な水墨画、円山応挙(まるやまおうきょ)が得意とした迫力ある虎之図。初代柿右衛門(しょだいかきえもん)、野々村仁清が残した陶器、また『開運!なんでも鑑定団』でも知られている中島誠之助さんも絶賛する古九谷も展示されている。書では、東郷平八郎や西郷隆盛が書いたとされるものが残っており、どれも筆跡の息づかいがぞくぞくと伝わってくる。そのほか、縄文・弥生時代の土器なども展示されている。

このように、有名たる美術品を所蔵し、驚きばかりが詰まっている南惣美術館。 「奥能登の米蔵」はまるで美術史を覗いているかのようなのだ!
まだ行ったことがない「あなた」、きっと満足して帰って来られるでしょう。




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