2019年3月27日水曜日

12年前も晴天だった

能登半島地震が発生して12年経過した。平成19年3月25日といえば3月末に退職する5日前の出来事だった。当時、県の外郭団体の石川県建設技術センターに勤務していた。この機関は県土木事務所や、市町村に対する技術支援業務を主としていたので、地震という突発したアクシデントには建設技術センターのパワーを全開発揮しなければならない機関である。
地震発生の2カ月前くらいに「もう1年延長しませんか」と意思確認があった時、「パソコン画面の図面を長時間見ていると外の景色が二重に見えるようになった」と理由を述べ、年度末に64歳で退職する旨を告げていた。


自分が退職後、おそらく技術センター職員はてんてこ舞いの業務に追われたことだろう。
その頃、町会長をやり始めて2年目だった。老朽化した集会所の改築計画を真剣に取り組み始めた頃であった。まだこの団地に引っ越しする10年ほど前の台風で屋根が吹き飛んで大被害を受けたという。
3月25日のその日は確か日曜日、9時頃から集会所でパソコンに向かい改築関係の資料を作成中だった。9時41分だったそうだが、突然グラグラ揺れだした。一瞬身がすくみ動けなかったが、二階で会議中だった婦人会の方々がキャーと叫びながら階段を駆け下りてきた。老朽建物なので「すぐ外に避難だ」と叫んで外に出た。

空を見上げたら太い電話線のケーブルが縄跳びの縄のように大揺れしていた。外も危険なので家に帰ったら、震度4の割には被害はなかった。
倒壊家屋や負傷者のニュースが続々流れたが、死者が1名にとどまった。これは奇跡的なことと思わざるを得ない。
12年前を振り返る門前町住民

倒壊家屋が多かった割には、死者が1名だったことには理由があるという。
発生した日は晴れだった。高齢者が多い能登の住民だが、野良仕事などで外に出ていた人が多かったからだという。それにしても能登有料道路が至る所で崩壊していたが、走行車両に乗っていた人に全く被害が出なかったのが奇跡的といえるだろう。


この震度分布図を見て死者1名だったことが信じられない。神が多くの人々を救ってくれたに違いない。

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