2019年3月23日土曜日

信開産業と称していた頃

つい先日だがアパホテルプライド国会議事堂前が完成して祝賀会が行われたというニュースがあった。


今では業界だけでなく財界にもその名が高い元谷外志雄氏だが、ホテルの客室数は6万室を超え世界的なホテル王に駆け上がった人物である。
元谷外志雄氏は、アパホテルを始め、マンションやレストランなどの事業を中核とする14の事業からなる、アパグループの代表である。

アパホテルと言えば、個性的な帽子スタイルがトレードマークの社長、元谷芙美子さんが有名だが、外志雄氏はその夫である。

ホテルの大看板である芙美子夫人の方の知名度が高いが、芙美子夫人をホテルの社長に抜擢し、広告塔に仕立てたのは夫の外志雄氏なのである。

いつも帽子が決めて
元谷外志雄とは一体どんな人物なのだろうか。
実はこの人と「商談」したことがあったのだ。平成7年、国鉄清算事業団では土地処分を急いでいた時代だった。当時、本社が犀川の大豆田大橋たもとにあるマンションの1階にあった。大垣駅と金沢駅の事業団用地を紹介しに何度か足を運んだ。

事業団用地はバブルの影響で価格が高騰していた頃であった。事業団は地価が顕在化しない売却方式を幾通りか考案し、大垣や金沢駅前は建物提案方式という仕組みで処分することになった。

貴方はこの土地にどんな建物を建てますか、そしてその事業収支計画はどのようなものですかと提案してもらう方式だった。
複数の提案のうち、最も土地利用の方法が法令規制をクリアし、かつ、土地価格が高い提案が採用されることになる。

結果、大垣駅前と金沢駅前は信開産業(当時改名前)に落札採用された。

アパホテル大垣駅前

アパホテル金沢駅前
社長室に入ると元谷代表がリモコンでドアをロックした。
「当社はバブル時期には土地は買わなかった。銀行が金を借りてくれというので困っている」と。「土地はだれも見向きもしないものに付加価値をつけて売却する」とも。

33歳の時にマンション事業を起業。そこで得た利益でホテル事業へ乗り出す。これは、マンション事業で発生する多額の税金を抑えるためでもあった。外志雄氏は次々とホテルを開業し、妻となっていた芙美子さんをホテルの社長に抜擢した。

芙美子社長は営業の仕事で素晴らしい手腕を発揮しており、その資質を見抜いての抜擢だった。ただ抜擢しただけではすまさず、今やトレードマークとなった帽子やミニスカートなどでキャラクター付けし、『私が社長です』のキャッチコピーでメディアに登場させるなど、芙美子社長をホテルの広告塔に仕立てていった。

その戦略と、芙美子社長の細やかな心遣い、営業力がマッチし、アパホテルは海外も合わせて400を超える店舗数、6万室を超える客室数を誇る一大ホテルチェーンに発展した。

このような人に出会ったことがあるということは誇りのように思う。今でも顔を覚えておられるだろうか。
だが、出会った当時は自転車操業の信開はいつ倒産してもおかしくないという風評があった。帝国データバンクには資力信用に問題ありとは一切記載されていなかった。
風評とはいい加減なものだと知った。

2012年の外志雄氏の年収は33億円であり、石川県で1位。資産は約2200億円であるといい、日本で5本の指に入るほどの超がつく金持ちなのである。
実はアパグループは本社こそ東京に移転しているが、登記上は外志雄氏の故郷である石川県金沢市に本店を置いている。そのため、納税地は今も石川県。外志雄氏は多額の税金を石川県に収めているという。

石川県金沢市は、外志雄氏が初めて事業を興した地。彼にとっては特別な場所なのである。東京進出の際、全てを東京に移してしまうことをいったんは考えたようだ。

しかし、当時の県知事から、県の税収の5%を占めるアパグループの移転はやめて欲しいと要請され、考え直したという。県知事の願いもあっただろうが、故郷を大事にしたいという外志雄氏の思いも強かったのだろう。

現在、外志雄氏のアパグループは、故郷石川県に多大な恩返しをしている。
こんな記事を見て、やはりただ者ではないという思いを強くした。

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