2017年5月21日日曜日

兼六園球場に相撲大会があった時代

私が高校在学中の高校相撲金沢大会は兼六園球場でにわか造りの相撲場で開催された。
応援席は相撲場を中心に各校が放射状に配置されていた。

3年生になったばかりの放課後、担任から職員室に来るよう呼び出された。何も悪いことはしていないが・・・と思いながら職員室に入った。
「君は部活をやっていないからクラスを代表して応援リーダーをやれ」と命令が下ったのである。
学期始めは放課後に応援の練習が開始される。校歌や応援歌数曲の旗の振り方や応援モーションの特訓を受け、全生徒の前に立ち応援の指導をすることになる。特に新入生に早く覚えてもらわなくてはならないので、指導もつい荒々しくなってしまうのである。
そして最初の応援は北信越野球大会、そのあとに相撲大会と続くのである。

金沢学園東高校の応援練習風景
さて、今日、卯辰山で高校相撲金沢大会が開催されている。101回という伝統を誇る大会は、大正4年に第1回が金石海浜で開催された。
金石海浜の大会
写真を見ると、もの凄い観客の数、スタンドは天然の砂丘に違いないだろう。
昭和19,20年は戦争のため休止している。昭和26年まで金石で開催されたが、翌年から平和町の平和台相撲場に移った。3年後の昭和31年から兼六園球場特設相撲場に変わった。
私は33年から35年の在校だから当然兼六園球場であった。
昭和31年、兼六園球場で初回が開催された時の模様
最近の卯辰山相撲場での応援風景
泉丘高校とのエール交換
それに答える泉丘高校の応援リーダー
昭和36年、現在の卯辰山相撲場が完成して現在に至っている。
うちの孫も母校の応援に初めて出かけて行った。娘もうん十年前に車で会場に送ったことを思い出した。
今日1日、卯辰山に大歓声が響き渡ることだろう。

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