2013年2月8日金曜日

社会人としてスタートした頃

私が社会人としてスタートしたのが昭和36年3月2日だった。卒業式が1週間後に迫った時期であったが、雇用者側の都合で早く出頭せよと指示があった。
当時は人手不足が深刻な状況で、雇用者としては他所に行かれては困るのでそのような措置を取る事業者が多かった。
現在の就職難から考えれば夢のような時代であったことがわかる。
国鉄岐阜工事局・能登線建設担当チーム
入社直後の役所の泉水の前で記念写真を撮ることになった。係長は映画「戦場に架ける橋」で有名になった泰緬鉄道建設に従事した強者で、ミャンマーで使っていた帽子を当時も愛用していた。
入社間もない21名の新入社員は3、4ヶ月間学生服のままであった。
卒業式のためなら一旦金沢に帰ってもいいと許可が下りて、どうにか卒業式に出席することができた。
4月になると部内教育機関である中央鉄道学園三島分教所に入所を命ぜられた。教育期間は6週間であったが、楽しい思い出が多い。
卒園旅行で富士五湖めぐり
卒園した6月下旬、能登線建設担当の小木工事区勤務を命ぜられ7月中旬九十九湾のほとりにあった事務所に赴任した。

1 件のコメント:

O.J さんのコメント...

コメント失礼します。

珠洲出身の(PCがあまり得意でない)石川県人会の方から、「こちらのブログの方にコンタクトを取るにはどうしたら良いでしょうか?」
という質問がありまして、連絡を取らせていただく方法があればお知らせいただきたいのですが、難しいでしょうか。

コメントはブログの所有者が承認するまで公開されませんと書かれていますので、フリーのメールアドレスを下に書かせて頂きます。
ご返信いただければ幸いです。

teiyou@dream.com
小野田