2013年2月15日金曜日

カンテラを持ってトンネル変状調査

事務所の建物に寮が一体化して併設されていた。寮は客室2間、個室4、宿直室、食堂があり、入寮者には3食とも賄いさんが用意してくれた。
区長と工事士が松波宿舎、助役は宇出津宿舎から通勤、現場監督専門職のずい道手が穴水宿舎から通勤、事務掛が単身赴任で入寮中、私より1年先輩の技術掛と私が加わって3人での寮生活となった。
工事区のほかに小浦に見張所(事務所の出先機関)が設けられており、助役の1人が13工区竣工残務整理が終わり次第、間もなく岐阜に転勤予定となっていた。
着任当時、15工区を担当した松波工事区でも路盤工事がほぼ竣工しており、ここでも残務整理が終わり次第閉鎖される状態であった。
当時の能登線建設は松波以遠で路盤工事の最盛期を迎えており、鵜飼、飯田の2箇所に工事区が設置されていた。
穴水・蛸島間の工区と請負者
能登線建設概要
宇出津から松波まで路盤工事がほぼ完成しており、昭和36年秋から当該区間の軌道敷設工事が着工予定されたため、その技術担当要員として任命されたことになったのである。
入社して4ヶ月の右も左も解らない私としては、1年先輩に頼ることが多かった。同じ能登出身者ということもあってか、懇切丁寧に指導していただき現在も尊敬の念を抱いている。
7月末のある日、助役から「明日、トンネルの変状調査をするからカンテラを持って現場に行くように」と指示があった。明日といえば日曜日だが・・・・、と不満に思ったが上司の指示は絶対、当日、カンテラにカーバイドを入れトンネル現場に向かった。向かったトンネルは能登線で2番目に長い小木トンネル。
入口(蛸島方)から500mくらいの場所に到着して側壁を観察すると、あちこちにひび割れが発生していた。
この変状が進行しているのかそうではないのか判断するため、モルタルを饅頭のようにして数箇所貼り付けた。
10日後その状況を確認したところモルタル饅頭に亀裂があって、変状が進行中であることがわかった。

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