小木トンネル位置図①~②L=963m |
小木トンネル入り口・H16.5.15撮影 |
変状調査の結果、側壁コンクリートが地山の土圧により強度限界を超えているため、放置すると側壁崩壊を招く恐れがあった。地山の地質は能登半島に多く見られる凝灰岩である。小木地方はこの凝灰岩を切石加工して土木建築資材として多用されていた。
ところが小木トンネル一帯はその風化岩で構成されており、一旦空気に触れると脆くなり、かつ水分を含むと膨張し粘性状に変化する。安定していた地山がトンネル掘削により空気に触れ、水分が加わって次第に膨張したことによりトンネルの変状を招いた。恐らく変状した部分は断層破砕帯と考えられる。
この対応策として施工基面から逆さアーチ状の厚さ40cmのコンクリート版を施工してトンネル両側の側壁下部に定着することになった。(専門用語でインバートコンクリートと称される。)
このほか、小浦地内の擁壁が変状しつつあることが発見され、現場調査が開始された。調査測量を実施し対策を検討した結果、変状しつつある擁壁を格子状のコンクリート梁(バットレス擁壁という)により表面を覆う補強工を施工し、変状を防止する工事が開始された。路盤工事施工時には地すべりが発生し難航した区間だったと聞いた。
これらの詳細設計、積算作業は30歳代の工事士と1年先輩が受け持った。私に設計をするように指示されたのは、宇出津構内に工事用として配置されるDLとモーターカー2台の保守点検に必要となる点検坑(ピットという)であった。この設計が入社して最初の土木構造物設計となった。設計図が完成して恐る恐る区長に見てもらったところ、「設計図というものはすぐ仕事ができるためのものだ。レールジョイント位置などの現場をよく見て設計してある。よし!」とお褒めの言葉を頂いた。
だが、積算作業は入社4、5ヶ月の自分にはその仕組みさえ理解できなかったので、助役が担った。
やがて初冬を迎えようとする11月、宇出津松波間軌道敷設工事が発注され、私の本来業務が始まろうとしていた。
部内誌「岐工情報NO40」より抜粋 |
市嶋局長のあいさつ |
改めてこれらの機関誌に目を通すと、昭和36、7年頃の国内の経済状況等を伺い知ることができる。
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