2013年2月21日木曜日

御用始めまで留守居役を命ず

職場と一体化した寮生活は通勤時間ゼロ分、これ以上の職住至近距離の職場はない。だが、土曜日半ドン、日曜日休みの当たり前のことが現場事務所では通用しないことがわかってきた。
助役は毎日早朝7時頃から出勤し計算機を回す音が聞こえると、あわてて寮から事務所に行かなければならないし、自分の仕事がなくても夜遅くまで上司が残業していると、それを無視して寮に入る訳にもいかなかった。請負業者が現場検査を願い出れば、日曜日であっても出勤するのが当然の習わしがあった。
職住が風光明媚な九十九湾の一角に位置するといえども、2km離れた床屋に行くのにトンネルを3本くぐらなければならなかったし、店屋は雑貨屋の1つだけ。月日を重ねていくうちに生活パターンに対するストレスが溜まっていった。
現場事務所があった場所にガソリンスタンドがH16.5.15撮影
そんな中、10月14日の鉄道記念日を迎えた。この日には全国の鉄道管理局等で永年勤続表彰式が執り行われ、その日前後に職員家族慰安会が行われた。遠隔地の現場事務所では独自で家族慰安旅行会などが開催されたが、小木工事区では家族慰安会として、独身者にも家族3人までの参加ができるとして、事務所にほど近いホテル「百楽荘」で食事会が開催されることになった。実家に帰ってその話をしたところ、親父、妹弟の3人が参加することになって喜んでくれた。平成16年5月、能登線が16年度末(平成17年3月31日)に廃止されることから、高校同窓生3組夫婦6人で「さらば能登線見納め会」を開催した。その際に、当時から営業を続けているそのホテル「百楽荘」に宿泊し当時のことが懐かしく蘇り感慨に浸った。
さらば能登線見納め会・ホテル百楽荘にてH16.5.16撮影
11月中旬、本部(岐阜工事局)において軌道敷設工事の発注が行われ、請負業者のOBが現場代理人を伴って挨拶に訪れた。提出された施工計画書によれば、12月初旬から着工の工事工程表が綴じ込みされていた。これに伴い、助役より宇出津から「線路中心測量」を直ちに開始せよと命が下った。
この作業は20m間隔に軌道中心杭を設置してその杭頭に中心点を示す釘を打ち込む。また、曲線の始終点に「役杭」と呼ばれるΦ10cm長さ80cmの腐食防止が施された焼き杭を地中深く打ち込み設置した。測量機器は20″読みのトランシット、スチールテープのほか竹製で延長20mの竹チャインを使用した。作業パーティは私のほか1年先輩、ずい道手の3人であった。測量経験が皆無な私としては、先輩にその方法を聞いたり、測量マニュアル関係の書籍で勉学に没頭した。
鉄道曲線の常識であるR(曲線半径)、BTC(緩和曲線始点)、BCC(円曲線始点)、ECC(円曲線終点)、ETC(緩和曲線終点)、IP(直線交点)、IA(交角)、TCL(緩和曲線長・三次放物線)、TL(接線長)、偏埼角δ等々の用語を早急に理解し、測量を実施に移さなければならなかった。
時は氷雨のシーズン。測量作業は北風が吹きすさぶ冷たさに手が凍え、トランシットが激しく風に揺さぶられて視準点が定まらない。その対策として宿舎の雨戸を外して現場に運び、器械の横に立てて風を遮った。野帳は濡れ、携帯用の算盤をはじく手も震えがちだった。
そんな日が続いたがそのうち、田ノ浦海岸付近に進んだ。ふと水平線に目を移すと思わず吾が目を疑った。水平線上に山々の稜線が信じられないほどくっきり浮かび上がった立山連峰の雄大な姿が横たわっているではないか。悪天候中の辛い測量作業がこの光景でどれだけ心を癒されたことか。この風景に感激した思いが忘れられず、10年ほど前に立山を描いた絵画を購入し居間に飾った。

九十九湾に浮かびあがる立山連峰・旧内浦町HPより
天候によってはこのように見える場合もある
そうこうしているうちに昭和36年も師走を迎えた。28日、大掃除を終え御用納めとなり単身赴任者は家族の元に帰った。そして、「君は御用始めで皆が帰ってくるまで留守居役だ」と。

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