夏服上下、アノラック上下、地下足袋、長靴、軍手、制帽、脚絆、襟章、算盤、製図機器、雨合羽など一気に自分の持ち物が増えた。秋口になるとラシャ地の立派な冬服が追加貸与された。
機関士などが乗務する際に着用している作業衣は工事区職員には貸与されなかった。
制帽は駅員がかぶっているものと同じものであったが、技術系の業務には不向きで滅多に使用しなかった。一度だけ着用して単車に乗って宇出津に行ったとき、郵便配達員と間違えられた。
算盤の裏には「鉄道省」という刻印があって、年代物を感心して眺めた。
脚絆を着用してみたが馴れないと中々ビシャッと決まらなかった。数歩も歩かないうちにバラバラと足首まで下がってしまった。何度も着用を試みたがうまくいかず、それ以降一度も着用することがなく、1年後には10cmくらいに切断して「靴磨き」化していた。
そのほか、過剰と思われるが夏バテ防止用としてビタミン剤、食塩まで支給された。
現場事務所に配備されていた単車は、メグロ125ccの排気量の割には馬鹿でかくて重く、クラッチが故障している代物であった。それでも誰も乗り手がいなかったので、免許取得してから自分専用のように乗り回した。休日には柳田村の実家までよく通った。
そのうち、トンネル補強工事が終わり、宇出津から小木まで路盤が全通したので、軌道工事が開始されない間にこの区間を単車で走破してみたいと思うようになった。ある日、意を決して決行することにした。宇出津構内の岩屋町踏切から進入し第2宇出津トンネルに入った。トンネル内を走行しているうちに、側壁に沿って設置してある側溝の蓋の上を走ると快適に走行できることがわかった。
前方に第2宇出津トンネル入り口が |
宇出津・羽根間位置図 |
田の浦海岸全景・手前は遠島山公園 |
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