2022年6月23日木曜日

親父の履歴書

つい先日まで、親父の書類箱に何があるのか把握していなかった。箱を開けると、ちぎれそうな土地の売買契約書や登記簿関係書類の中に混じって、何だろうと手にした文書があった。広げてみると何と海軍勤務時の履歴書だった。楷書で書かれているが非常に読みづらい。

駆逐艦「刈萱」昭和19年9月10日ルソン島沖でアメリカ軍の攻撃で沈没

実はこの駆逐艦に親父が乗艦しているはずだったが、急性虫垂炎で台湾高雄病院に入院していたが、症状が重くなって乗艦する予定が変更になって、刈萱は予定通り高雄港を出港しルソン島付近に向かったのである。

楷書で記入されているが読みづらい文書である

虫垂炎の治癒中に乗艦する船はなくなったので、5月10日付けで入院中のまま舞鶴海兵団に勤務と記録されている。
岡崎に教官をしていたことがあると聞いていたが、6月23日付で岡崎海軍航空隊に転勤したとある。
自分の腎臓癌は胃カメラ検査でたまたまCT検査をして胃の異常が無いか確実な検査をしましょうと見つかったのが初期の癌だった。
親父の場合は盲腸炎が命拾いとなった。親父が盲腸炎を起こさなかった場合は、自分の人生も大幅に変わっていたことだろうと、不思議な「運」に感謝である。

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