2021年9月23日木曜日

埋蔵文化財を断ち割った能登線

新聞記事によると、5年間に及ぶ旧松波城の発掘調査で、能登地域の武家庭園としては最も古い15世紀前半に存在した庭園で、敷地の門近くから建物入り口につながる礫(れき)を敷いた道の遺構は、他にほとんど例がない珍しい遺構とみられることが分かったという。庭園跡の調査例は少なく、15世紀前半の遺構がそのままの状態で保存されていたのは大変貴重と関係者は意義を語る。
礫を敷いた道の遺構(手前)など貴重な成果が確認された松波城の庭園跡の発掘現場

実はこの松波城跡は能登線建設で分断されてしまったのである。能登線建設は昭和33年ころから着工されたが、当時は松波城跡とはわかってはいたが、埋蔵文化財の保護という観点が全く重要視されていなかった。鉄道の線形を重視してぶち割ったものである。

文化財を断ち割って建設された形跡が残っている

位置図
昭和37年に、建設されるルートを確認するため現場に行った。既に掘割の上には橋が架かっていた。
しかし、1577年に上杉謙信の能登進攻で落城して以来から放置されたが、その中にある旧松波城庭園跡は、1962年に発見され、断続的に一部が調査されてきた。2012年1月に国指定名勝となり、16年度から全体的な発掘調査が始まった。

発掘調査では土師(はじ)器や珠洲焼、越前焼が見つかり、庭園が作られた時代は十五世紀前半と判明した。敷地内で客人をもてなすための施設だった建物の全容も判明。門近くから建物の入り口につながる礫を帯状に敷き詰めた道の遺構は似た遺構の例がほとんどなく、保存状態も良いため、当時の庭園文化を解明する手掛かりになる貴重なものだという。


昭和37年、レールは松波城跡の真下に伸びた
もし、当時このような埋蔵文化財があるとわかっていたら、線路は大きく山の手前から海側に移動していただろう。(タラの話は北海道か)

こんな写真を見るとまだ列車が走っていると錯覚する

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