2021年8月30日月曜日

54年前の死闘が目に浮かぶ堅田審判の引退

 昨日の智弁学園対智弁和歌山の1塁審判を務めていた人、堅田外司昭氏が還暦を迎えるにあたり引退されるという記事が掲載された。堅田氏は54年前、星稜対簑島戦の星稜の投手だった人である。この対戦は歴史に残る名勝負で今も語り継がれている。

昨日の決勝戦を以て引退されることを表明された堅田1塁審判
当日、お盆に帰省していた自分は能登の実家でテレビ観戦していた。これで勝ちだ・・・と何回も思ったシーンがあった。が、結果は簑島の勝利だった。3年前の100回記念大会では、堅田元投手と石井毅簑島投手が揃って始球式を演じた。

始球式直前の堅田・石井元両校投手の打ち合わせ

堅田主審(当日は主審を務められた)が見守る中、石井が投げた瞬間
54年前を彷彿させる写真があった。

18回、投球直後の4球判定でウーンと頬を膨らませた堅田投手
そもそも何故、堅田氏は甲子園の審判をやると決意したのか、これには物語がある。
試合後に引き揚げる際、球審を務めた永野元玄さん(85)から試合で使用したボールを手渡された。「一生の宝物です。ボールを見るたび、あの試合に恥じない生き方をしようと思った」とのちに語っている。

卒業後は社会人野球の松下電器(現パナソニック)で選手、マネジャーをした後、「野球界に恩返しをしたい」と審判になった。春夏の甲子園大会には2003年夏の第85回記念大会から参加。「球児たちには、それぞれの『最高試合』をしてもらいたい。思いやりのあるジャッジで、そのお手伝いがしたい」という思いでグラウンドに立ち続けてきた。

堅田さん、長い間ご苦労様でした!

0 件のコメント: