2020年8月19日水曜日

奥能登に名家あり(その1)

先日、何気なくテレビを見ていたら、「エーッ、25代目!」と驚いた。子どもの頃、柳田の家から夏になると歩いて曽々木へ海水浴に行った。2時間ほど歩くと海が見える場所に到達し、もうすぐだと元気が湧いた。その位置付近に能登の風土に馴染まない豪邸があった。それは上時国家だった。その当主がテレビに映し出されたのだが、平時忠の子時国から数えること25代目の時国健太郎氏である。
昔は看板はなかった
アプローチ道路
築180年 建坪189坪 最大級の純和式建物
当主登場
戦国大名の家系を凌ぐ凄い家系なのだ
石川県内の人であっても、この時国家を知らない人が多い。この当主の先々代と推定するのだが、あのキリンビールの社長を務められていたのである。
この家は築180年といわれるのだが、その以前はここではなかったという。北前船5艘を有する豪商でもあった。ので、町野川河口から300m上流付近に館があったという。それが洪水の危険を避けるためこの地に建築されたという。

初代先祖の平時忠とは、平家にあらずんば人にあらずと豪語したとされる清盛の義弟、姉の時子は清盛の嫁、妹滋子は後白河天皇后。娘の蕨姫は源義経の奥方。
どれもこれも凄ーい!の一言だ。
壇ノ浦合戦で敗北後(800年前)に能登に流された「大納言・平時忠 ・・・平清盛の義弟」と伝えられ、子の「時国」を初代として現在で25代目。江戸初期から300石の豪農として天領大庄屋を務め、江戸後期に21代当主が現在の巨大で格式高い屋敷を28年かけて建造した。現存する近世木造民家では最大級である。
つづく

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