2019年4月5日金曜日

「石場がち」ってわかんないだろうなぁ

「奥能登トリビア蔵」というネットサイトに懐かしい写真が掲載されていた。
その写真は、「石場がち」である。
昭和30年代の中頃まで、新築の家を建てるとき、柱に当たる位置には大きな石を打ち込んで地固めの基礎造りした。この作業はやぐらを組み、直径50センチメートルを超える大きな材木を直立させ、ロープで繋ぎ、大勢の人足がロープを引き、ヨイショヨイショの掛け声で材木を一斉に落として石を打ち込んだ。これは長時間作業となるので、唄を歌いながら打ち込んだという。 

小生が4、5歳の頃になると思うが、実家の新築でこの石場がちをしたことを鮮明に覚えている。子供の背丈くらいある大きな花崗岩でできた基礎石を地面に打ち込むため、やぐらを立て、上部に人が乗れるステージが設けられていた。この上に乗る人は歌を唄いながら大勢の人がロープを引くタイミングや疲れをいやすため、菅笠に色とりどりの飾りつけをしたものを冠り、衣装は女性用の着物姿で歌を唄いながら踊るのである。

旧柳田村の石場がち
 写真のほか、瀬戸久雄氏(現在80歳)が次の通り投稿されていた。瀬戸氏は小生の実家のある同じ在所の人である。

            石場がち    瀬戸 久雄
平成十五年十一月二日、柳田村文化協会三十周年記念(会長 宮本康一)として、私たちの先祖が伝えてきた「石場がち」が再現される。
第一回目の練習が十月十九日、柳田村消防団(団長 山本勉)を中心に、中瀬精一さんによる音頭取り、笛太鼓の方々によってにぎやかに執り行われた。
石場がちを経験した六十代以上の人たちの話によると、字柳田では、昭和三十年五月に大路博邦さんの住宅の新築で行われた以降は、その後石場がちが見られなくなった。また、大路家の石場がちの音頭取りをされた石井の大庭作太郎さん(明治二十三年生、故人)の花笠に晴れ着すがたの写真も残っている。

子供の頃、在所でもかなりの家が新築された。その数10指に余る。考えてみれば大新築ブームだったといえる。
近所で石場がちがあると聞いてとても嬉しい思いをした。それは、おじいさんのお踊りや掛け声を合わせて綱を引く様が面白かったほか、休憩時間に必ずおにぎりが子供にも配られた。これがとてつもなく美味しく思えた。


門前地区の石場がち唄の歌詞を見つけた。おそらく似たりよったりなのだろう。

枝も栄えては葉も茂りゃ 鶴は繁盛と巣をかける
この家や館はめでたい館 鶴がご門に巣をかける
鶴がご門になんと言うてかけた 末は繁盛というてかけた

今日は阿岸の郷まつりや 小菊桜も恋をする
亀の人足ぁ八人揃うた それで上がらにゃ よだがりじゃ
能登の門前ないや 住みよいやところやいな 娘器量良し 気だて良し

きじはケンケン榊の下で 婆ばばさんおらんとて さぼとぼとと
おらちゃ初めて石場かち習るた 石のそこまでかち習ろた
嫁にもらうなら豆腐屋の娘 豆で四角で柔らかい
抱いて寝もせずいとまもくれず つなぎ船かよ俺に身は

※ よだがり=仕事仕上げの夕方  



ヨイトマケの唄は石場がちの唄である。漁師の唄、木こり唄、仕事歌は唄うことで皆の力を一つに合わせる役割があった。

漁師も仕事唄を唄った


もうこんな仕事は全てなくなった
保線区職員は線路工手長の掛け声と唄で8人くらいで枕木と枕木の間を鶴嘴で搗いていた。歌の歌詞は資料がないので残念に思う。その風景もタイタンパーやマルタイという機械化で無くなってしまった。
中学時代に唄った「ボルガの船曳唄」も仕事唄である。労働者が重いロープを引いている様が実感できた。

ところで、こんな歌を聞いた方も多いと思う。

子供の頃に 小学校で
ヨイトマケの子供 きたない子供と
いじめ抜かれて はやされて
くやし涙に くれながら
泣いて帰った 道すがら
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た

姉さんかむりで 泥にまみれて
日に灼けながら 汗を流して
男にまじって 綱を引き
天に向かって 声あげて
力の限りに うたってた
母ちゃんの働く とこを見た
母ちゃんの働く とこを見た

実はこの歌、ヨイトマケは差別用語だとしてレコード販売が差し止めされていたという。
美輪明宏がこの歌を作ったのは、ある炭鉱町の公民館で行われた自身の公演がきっかけだったという。
美輪明宏をよくご存じの方の投稿
公演には、なけなしの金でチケットを買った炭鉱労働者が大勢詰め掛けた。
「せっかく来てくれた彼らを、歌で励ましてあげたい」
そう思い立ったものの、彼はあることに気付く。
それは、日本には底辺の労働者に寄り添う歌がないということ。
「それなら自分が作ろう」と考え、完成させた曲が「ヨイトマケの唄」だった。
レコードが発売される前年の1965(昭和40)年。
テレビ番組で2度にわたり歌ったところ、全国の労働者から大反響が寄せられた。
一介の歌手が、自らのイデオロギーを歌うのはタブーと考えられていた当時。

シンガー・ソングライターという言葉も、日本では馴染みがなかった時代なのだ。


全国各地に民謡が数知れぬくらいあるが、その大半は仕事唄である。
辛い仕事も歌を唄うことで紛らわせたのだろう。

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