2019年4月28日日曜日

平成時代の終焉

平成時代があと2日を残すのみとなった。平成の31年間を振り返れば正に「あっという間」に過ぎ去った。
31年前といえば45歳。子供は高3と中3の娘二人。これから先、諸経費がもろにかかってくる平成の初期だった。

平成時代の幕開けはバブルの最中にあった。地上げ屋が暗躍し土地価格が沸騰していた。
「マイホーム、手の出るところは熊も出る」とサラ川で優秀作品に選定されたりもした。
住宅販売会社を創設した同級生の話では、「バブル時代は儲かった。毎晩財布に100万円入れて片町へ遊びに行った」という。

一介のサラリーマンとしてはバブルの恩恵を受けなかったといえば嘘になる。何故なら平成8年、金融機関から何と4千万円、住宅金融公庫から4千万もの融資受けて土地購入と建物新築ができたのである。前に住んでいた家の売却費と平成10年3月の退職金で一部を返済した。

平成10年、55歳でトラバーユ。職場風土が180°違う場所は、居心地としては60点くらいだった。そんなところに9年、64歳で退職した。退職したら何をしようかアレコレ考えたが、退職直前の平成18年1月、前任者から懇願されて町会長に就任したので、その業務の深みに足を取られて6年間ものたうち回った。

業務の深みとは何か。平成初期から地域住民が毎月500円を集会所改築資金として18年間積み立てていた。集会所は老朽化して2階の床が抜けそうになって使用制限をしなければならない状況にあった。幸か不幸か、清算事業団で都市計画や宅地造成計画、ホテル新築工事監理業務を経験していたので、土地の形状から建築計画と概算所要資金を算定してみたところ、何とかなると見込みが立って設計、公的資金助成申し込みをして平成20年に着工した。

その前年、敷地所有者の勤労者住宅生活協同組合に土地譲渡を懇願し晴れて町会所有地として登記できた。その勤住協が6カ月後倒産したので、登記できたのは正にグッドタイミングだった。会館完成は平成22年3月、市長(代理)、国、県、市義会議員や住民が集い新築落成祝賀会を盛大に挙行した。
そんなことで少しは地域に奉仕できたかなと自負している。

この後、3年ほど公民館長を務め退任して現在に至っている。毎月今頃になると小学生下校時の交通誘導の当番表を作成しているが、これも13年続いている。
このような平成時代があと2日で終わりとなる。そういえば、大正生まれのおやじとおふくろが平成9年と平成21年に亡くなったことも付け加えなければならない。

昨日の新聞に、全車両に「令和」ヘッドマーク IRいしかわ鉄道  という記事が掲載された。
IRいしかわ鉄道(金沢市)は26日、一部の車両に「令和」と書かれた記念ヘッドマークを掲げた。金沢―富山間など計7便で運行された。27日~5月6日は全車両に掲示される。
マークは縦45センチ、横50センチで、毛筆体で「令和」、赤色で「祝 改元」の文字を配置した。

「令和」と記されたヘッドマークを掲示した車両=金沢駅
IRいしかわ鉄道は、5月1日に「平成31年4月30日」「令和元年5月1日」の日付がそれぞれ印字された金沢-倶利伽羅間の乗車券2枚組を限定500セットで販売する。1日午前10時から金沢駅のIRお客さまカウンターで取り扱う。

そして昨日からサラリーマン待望の10連休が始まった。

北陸新幹線から降りてきた乗客=27日午前8時49分、JR金沢駅
天皇の代替わりに伴い、残り4日の平成と新たな令和の時代にまたがる10連休が27日スタートした。北陸新幹線や空の便は、例年のゴールデンウイークを大幅に上回る利用が見込まれており、連休初日は石川への入り込みがピークになるとみられる。JR金沢駅や小松空港は朝から人波ができ、土産を手にした帰省客や行楽地に向かう観光客で混雑したという。
さぁ、1000年も秘蔵された「ご神体」、それに兼六園のライトアップでも見に行こうかぁ。

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