2021年3月4日木曜日

18代当主がお詫び!?

金沢近郊の民衆から 、「 藩の権力者と癒着して密貿易をおこない莫大な財産を築き、河北潟干拓工事では毒物を投入した極悪人 」として非難された銭屋五兵衛。一族郎党が投獄され五兵衛は獄死(80才)した。加賀藩に莫大な資金を供給した銭五が、幕府に目を付けられる前にデッチ上げした冤罪だった。

四,五日前にTVのスイッチを入れたら、たまたま加賀藩第18代当主前田利裕氏が、誰かと会話している場面だった。「何だろう?」と注目していると、年配の女性にお詫びしているシーンだった。その女性は銭屋五兵衛の子孫だという。

18代当主前田利裕氏
当主曰く、「銭屋五兵衛さんは加賀藩により罪を着せられ、子孫の皆さんにも大変な思いをさせていました。当主としてお詫びしますのでお許しください」と。お詫びされた女性は非常に恐縮されているように見えた。銭五が亡くなって170年、銭五の子孫も18代当主からお詫びの言葉があったことで肩身を狭くしなくて良くなった。さすが前田18代当主!である。

金石の手前に銭五記念館がある
この記念館に町内の老人会(福寿会)が訪れたことがあった。平成25年9月だった。

中々見応えのある施設だった

あまり知られていない話しだが、銭屋五兵衛が日本近海で貿易していたと思っていたら、オーストラリアの土地まで保有していたとは!。オーストラリアの東南にある タスマニア島へ興行に出かけていた日本人の軽業師が、現地でコケ(苔)蒸した日本語で書かれた石碑を発見。その石碑には、「 かしうぜにやごへいりようち 」の十三文字が書いてあった。この文字を漢字に直せば、「 加州銭屋五兵衛領地 」であり、加州とは言うまでもなく加賀藩のことで、北前船で活躍した豪商・銭屋五兵衛が、タスマニアを領有していたという。その面積は、なんと島の三分の一に及んだらしい。これは幕府にバレれば加賀藩が危うくなる。濡れ衣の罪、シャーないか!

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