2021年3月11日木曜日

10年前のこの日は何をしていた?

その日は集会所の3階で十数人がサークル活動をしていた。3時ちょっと前、少し建物に揺れを感じたので、何事かとテレビ画面に切り替えた。東北地方に地震が発生したのである。サークル活動どころではなくなり、実況中継画面を注視した。このニュースで非常に気になったのが、津波が押し寄せてくるのに道路を行き交う車が何台もあったことである。

上部に見える細い道路を走る車が何台か
一刻も早く高台に避難するということは分かっていたと思うのだが、何かの事情でここを通らなければならない事情があったのだろう。タレントのサンドイッチマンが昨日の番組で、高台に避難したという場所でインタビューに応じていた。そこから撮影したニュース画面はこの世の出来事ではないように感じた。
おびただしい車が浮きながら濁流に流された
その4年前の平成19年3月25日午前9時41分に、能登半島地震が発生した。この時も旧集会所でパソコン作業をしていた。2階に集会を開いていた婦人部の方々が、キャーと叫びながら階段を駆け下りてきた。集会所は経年で老朽化著しい建物だったので、急いで外に出るように促した。
能登半島地震で不思議に思うのは、地震規模の割には死者が1名だけだったということが奇跡のように思われる。能登有料道路もあちこちで崩壊した。が、車の事故は発生しなかった。これも不思議。

学者の方々は東南海地震の発生を警告されている。和歌山県に訪れた災害研修で「稲むらの火」で知られる紀州広村(現在の広川町)の防潮堤を見学したことを思い出した。森本富樫活断層帯の真上に住む我々も常に地震の警戒心を怠らないようにせねば成るまい。

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