2020年6月11日木曜日

金沢スイカ今日から販売


石川県内最大のスイカの産地である金沢市で、昨日(10日)から出荷作業が始まったという。

去年より2日早く出荷初日を迎え、JA金沢市の砂丘地集出荷場には、
17軒の農家から約4100玉のスイカが運び込まれた

全国で金沢でしか作られていない品種を栽培している

ここは、若い生産者が多いという
若い力が一丸となって、さまざまな試験を実施して、美味しいスイカ作りを追求している
そんなニュースを見て、小学生低学年だった頃のある情景が懐かしく思い出される。
その頃のわが家は雑貨商を営んでいた。親父が山林の売買仲介業、お袋が雑貨屋の店番といったパターンで生活をしていた。

店で販売用のスイカの仕入れは7月20日過ぎからだった。オート三輪の荷台に山積みされたスイカを2,3人が手渡しで店の階段下に並べた。個数にして50個前後だったように思う。26日から在所の夏祭りが催される。だから結構売れ行きが良かった。お盆時期になると直ぐ近くの神社の境内で、奥能登一円から腕に覚えのある相撲取りが集まって草相撲大会が開かれた。この行事のお陰でスイカが飛ぶように売れたのである。

草相撲大会が終わる頃、スイカ販売も終了となる。余ったスイカを井戸水で冷やして親父が切った。兄弟姉妹5人が競うように食べた。親父はスイカのほか、かき氷も店内で販売した。草相撲の観客は今では信じがたい程大勢詰めかけたのである。主催者は在所の青年団だった。青年団は土俵造り、観客席造り、寄付集め等を精力的に行なった。今、考えてみると、その頃の青年団のパワーは偉大だったと感心することしきりである。

青年団といえばもう一つ偉大な行事を執行した。それは冬場の行事として定着していた演芸会の開催だった。これは村の青年団挙げての事業で会場は小学校の講堂。舞台設営は教壇の組み合わせで行なわれた。全ての窓にゴザを貼って光を遮断。あの頃既に照明設備が完備されており、スポットライトもプロ並みの腕を持った人がいたのである。
それぞれの在所の青年団は得意な出し物を用意していた。それぞれの青年団に得意な出し物があり、十郎原の漫才、五十里の歌舞伎、笹川のヤクザ任侠劇等々だった。講堂は超満員。人いきれで暖房は全く必用なかった。
あれからもう70年という月日が去った。


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