2019年9月24日火曜日

梅沢冨美男の修行の地


去年だったと記憶しているのだが、バラエティ番組で常連の梅沢冨美男が卯辰山でインタビューしているテレビを見た。その番組で初めて知ったのだが、今ではスーパースターとなっている梅沢冨美男がまだ無名だったころ、金沢ヘルスセンターで毎年1か月余り公演していたという。番組では梅沢氏も「金沢は第二の故郷」と話していたのだ。

50年ほど前に梅沢劇団が毎年公演を行っていた演芸場があった「金沢ヘルスセンター」の跡地へ行って思い出話をしたのだ。
「ここが役者の原点だ」と当時を振り返った梅沢の前に現れたのは、御供田幸子さん。金沢で劇団を主宰し、相方の千秋さんと共に“お婆ちゃんコント”で人気を博している彼女は、梅沢に感謝の思いを伝えるためにやってきたという。 

大広間の舞台
入場すると大広間では自分の居場所を作った
28年前、「夢芝居」でスターの仲間入りをした梅沢が金沢で凱旋公演を行った時のこと。御供田さんは、カツラや刀などの荷物を自ら率先して運んでいる梅沢の姿を目撃したという。 
そんな梅沢の実直な姿勢から演劇とは何かを学んだという御供田さんは、「団員の人達と一緒に荷物を運んでいた、あの姿が焼き付いて、頑張ってこられた」と梅沢に感謝を伝えた。

ヘルスセンターの跡地では、御供田幸子さんが素顔で登場していた。御供田さんと相方の浪花千秋さんは石川県で有名なお笑いコンビで、石川ローカルのテレビCMにも出演している。脳梗塞に倒れた相方の千秋さんに梅沢さんがメッセージを書いてくれた場面があった。

梅沢氏が毎年公演していた頃のヘルスセンターの状況をネットで調べた。

入り口
山の上にある水族館としては希少的な存在だった
動物園では触れ合うことができた
兼六園の見晴らし台から見える風景だった
水族館とヘルスセンターを結ぶロープウエー
ヘルスセンターのシンボル
新川二郎もここの舞台で歌っていたところを見出され、「東京の灯よいつまでも」が大ヒットした。4月に整備された見晴台に行ってきたが、建物の位置関係がさっぱり分からなかった。
大広間とか大浴場や動物園はどこにあったのだろか
1958(昭和33)年11月1日、松本観光株式会社が「金沢ヘルスセンター」として開業。同時に「金沢動物園」を開園した。1963(昭和38)年8月、隣接地に「金沢水族館」を開業した。

同地周辺にはほかに演劇場・映画館・小遊園地、大浴場や宿泊施設も開設され、一大行楽施設となった。水族館と金沢ヘルスセンター間にはロープウェーが設置されていたが、後に老朽化のために廃止された。

1982(昭和57)年「金沢サニーランド」と改称される。
1993(平成5)年8月31日、利用者減少・施設老朽化により閉業。
石川県が施設全体を買収し、1994(平成6)年に公営施設「県立いしかわ動物園」として再出発した。しかし老朽化がひどく、また拡張する土地の確保が難しいことから、1998(平成10)年に閉園した。




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