2019年7月28日日曜日

営業僅か20年、瀬戸大橋与島の栄枯盛衰

つい先日、NHKのTV「瀬戸大橋」の特集を見た。そして、「エエッ、まさか!」と驚かされた。場所は瀬戸大橋の橋脚のある与島。実はこの与島に瀬戸大橋が開通して間もないころ、研修でこの島にあったフッシュマンズワーフに寄ったことがあった。その施設がもうなくなったというのだ。

海産物のお土産屋、レストランがあった
写真は駐車場ががらがらの状態だが、自分が訪れたときは駐車場も満車、施設内も超混雑していた。残念なことに確か写真を2,3枚写したはずなのだが探しても見当たらなかった。
なぜ何だ、どうして廃業になったのか調べることにした。

平成元年(1988年)4月10日に瀬戸大橋が開通し、島は空前の観光ブームに沸いた。「京阪フィッシャーマンズワーフ」は年間売上げを約50億円と予想していたが、開通初年度は100億円を超える売上げを記録した。
フィッシャーマンズワーフ開店当時に京阪電鉄から出向し、この施設を立ち上げた増田佳弘さんは「毎日人波が押し寄せていた」と当時を振り返る。増田さんの言葉を裏付けるように、1989年度の運輸白書は与島をウオーターフロント開発の優等生として大いに賞賛していた。

島に観光ブームが訪れた1988年頃、日本はバブル経済のまっただ中であった。観光ブームによる開発の波は与島のみならず、周辺の島にも押し寄せた。与島の隣の島「小与島」では瀬戸大橋の眺望を売り物にしたホテルが建設された。さらにこの業者は島にベネチアの町並みを再現したり、水族館を作って、島を丸ごと開発する計画をぶち上げた。計画では島の住民全てを移住させて開発するものだった。

来客は殆ど見当たらない状態だから間もなく取り壊しが近づいた頃か
与島の島おこしは順調に進んでいるかのように見えたが、好調の陰で不安も潜んでいた。本州と四国との間は10キロ弱の距離にかかわらず通行料金は5500円。瀬戸大橋のほぼ中央に当たる与島からは四国へは3000円。本州へは2500円と割高な通行料金の影響をもろに受けた。観光客や島の人のみならず、島にある観光施設の人たちも割高感を感じていた。

不安は的中した。瀬戸大橋の開通ブームが去って、割高な通行料金の瀬戸大橋を避けてフェリーで本州と四国の間を行き来する車が予測を上回っていた。橋の通行台数は予測の半分以下にとどまっていた。予測を下回る車の通行台数なども影響して開通ブームに沸いた与島のフィッシャーマンズワーフも開店3年目から赤字に転落していた。与島の隣の島・小与島に建設されたホテルも苦戦を強いられ閉鎖に追い込まれた。住民の集団移転も一部が移転するにとどまっていた。

ということで平成20年(2008年)に廃業したという。とはいえ、あんなに賑わっていた施設がなくなったというのが今だ信じられない思いである。

撤去され整地作業中
僅か20年、栄枯盛衰の凝縮した姿を見たようで、やりきれない思いである。


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