2018年5月26日土曜日

最後のYS-11

去る5月11日、高松空港で唯一保存されていたYS-11が日本航空学園に動態保存するため、能登空港に到着したというニュースがあった。


YS-11が国産旅客機としてデビューしたのが昭和40年だという。その4年後、吾々夫婦は新婚旅行で伊丹から松山までフライトした。

客室
初めて飛行機に乗る高揚感、飛び立つ前に滑走路でエンジンを全開して機体がフワッとした瞬間、ブレーキが解かれ機体は一気に加速して空に舞い上がった。50年前のあの感覚は今でも忘れられない。40分間のフライトだったと思うが、正に「夢のような気分」を体験した。松山空港では1年前に墜落事故があったので「落ちるぞ」と脅されもしたが。

能登空港に到着
国内の航空会社で最初に定期路線で就航させたのは日本国内航空である。運輸省の量産一号機の翌々日の4月1日に、東京(羽田) - 徳島 - 高知線で定期航空路線の運用を開始したという。
高松空港を午後2時15分離陸、能登空港に同4時15分に着陸、能登キャンパスに誘導する際は航空高石川、日本航空大学校の生徒学生、教職員約200人で歓迎した。一般客は能登空港のデッキから着陸を見学できた。

能登キャンパスは、エアロラボが3年前にYS11を羽田空港から高松空港に飛行させた際、専用の点検機材提供で協力した。日本航空大学校の浅川正人学長は「現存するYS11の大半が展示機となっており、生徒、学生にとっても飛来する姿を見られる貴重な瞬間になる」と話した。

保存期間が1年間、その後はどうなるのか気になるのである。

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