2018年2月24日土曜日

三千三百年前の道具 火切り臼


宇出津から海岸線に沿って北上すると、羽根、小浦を経て真脇の集落に入る。集落を抜けると姫に至る道路と小木に至る道路の分岐点付近の左側100mくらいの位置にのと線真脇駅跡がある。
もう55年前になるが、私はこの付近で仕事をした。ジープや単車でこの付近を走り回った。仕事は能登線建設工事であった。
真脇駅付近建設工事中
その思い出のある地で、縄文時代の火おこし器が発見されたという。
石川県能登町教育委員会は23日、同町真脇の国史跡・真脇遺跡で、約3300年前(縄文時代後期末~晩期初頭)の木製「火きり臼」が見つかったと発表した。摩擦熱を利用して火をおこす道具で、縄文時代の出土例は北海道小樽市の忍路土場(おしょろどば)遺跡に次ぎ2例目。本州で縄文時代に人々がこうした道具で火をおこしていたことが初めて裏付けられた。


 真脇遺跡は、約6000年前(縄文前期初頭)~約2300年前(晩期終末)の長期にわたる集落跡。火きり臼は、史跡公園の整備に伴う発掘調査で2015年12月、川の跡(幅約4メートル)から大量の木製品と一緒に出土した。

火きり臼は板状で、長さ39.1センチ、最大幅5.5センチ、厚さ1.8センチ。素材は杉で、年代は放射性炭素年代測定で特定した。片方の側面に二つある丸いくぼみ(直径約1.5センチ)が炭化していた。くぼみ部分に沿わせるように垂直に立てた棒を手で回転させるなどし、摩擦熱で火種を作ったとみられる。

人類は旧石器時代には火を使用していたと考えられている。火きり臼のように効率的に火をおこす木の道具は、国内では弥生時代以降に多くの出土例がある。最古とされる忍路土場の火きり臼の年代については発掘当時、周辺の出土物などから真脇のものよりやや古いと推測されたものの、他に出土例がないため議論もあった。

真脇遺跡は昭和57年・58年の発掘調査によって縄文時代の前期初頭(約6000年前)から晩期終末(約2300年前)まで、約4000年の間繁栄を続けた、他に例のない長期定住遺跡であることが判明している。本遺跡は標高4~12mの低地に位置する湿地遺跡であったため、普通は腐って残りにくい動植物で作られた遺物が大量に保存されていた。
昨年8月、木柱跡データを基に竪穴式住居が完成した
特に前期末から中期初頭(約5000年前)の層から大量のイルカの骨が出土している。その数の多さから真脇の縄文人はイルカ漁を行っていたと考えられている。また中期中葉(約4500年前)の層からは板敷き土壙墓が4基見つかっている。晩期(約2800年前)の土層からは巨大なクリの木を半割りし、円形に立てて並べた「環状木柱列」が見つかっている。
このように多種多彩な遺物が出土した真脇遺跡は縄文文化の見直しを迫る貴重な遺跡として位置づけられ、平成元年に約37600㎡が国指定史跡に指定され、さらに、平成3年にはたくさんの出土品のうち219点が国の重要文化財の指定を受けている。 

巨木柱跡
真脇遺跡縄文館
平成15年10月、間もなく能登線が廃止されることが決定されていたことから、能登線見納め・乗り納め会を友人3組夫婦6人で実施した際、ここの縄文館に訪れた。
営業中の能登線の線路が見える
遺跡の入口にあるモニュメント
火切り臼発見のニュースで吾が青春時代が蘇った。

0 件のコメント: