2018年2月18日日曜日

6人目の孤独死

数日前、集会所事務室で町会長から、「先日、町内で孤独死があった。私が副会長と町会長の通算6年間で6人目になる」という話があった。孤独死の原因や状況については町会に情報が入っていないが、親族はそんなに遠くない所に住んでおられるようだ」と。

名前を聞いて驚いた。会話も何度かしたことのある人だった。
去年の6月、あんずの収穫をしていたらその人が樹の下まで来て、「あんずを分けてください。お金上げますから」と頼まれた。そして、「ちょっとバスで出かけるのであとで伺います」と云われた。収穫を終え、あんずを袋に入れて夕方まで待ったが来られなかったので自宅に届けに行った。「いくらですか」と聞かれたので、「沢山とれたのでお金はいりません」と答えたらとても喜んでおられた。

昨日、地域サロンがあり、サロン運営の世話人で民生委員をしておられる方にその事について聞いてみた。
「孤独死の連絡はいつあった?」、「当日、その人の近所の方から聞いた」。
「体調が悪かった?」、「以前、骨折して入院していたと聞いたことはある」。
「近所との交流はどんな状況だった?」、「ほとんど交流のない人だった」。
「誰が発見したのか?」、「子供さんだろうけど、電話しても通じなくなって家に見回りに来たという話を聞いた」。

昨年は60才の男性が孤独死した。隣家の人が何日も電気がつかない日が続いたので不審に思い、町会長に連絡して警察が調査したところ孤独死と分かった。
この人は近所の人との交流は一切なかったという。

この二人に共通することがある。近所との交流が希薄なのである。前者は、私はあなた方とレベルが違うから交流したくないというタイプ。
後者は引きこもりタイプ。6人の孤独死した人に共通することは、世間は煩わしい、一人が自由で一番いい、という考えなのだ。

孤独・孤立とは、物理的に他の人々と隔たっていることのみをさすわけではない。
どれだけ周りに人がいようとも、心がつながっていなければ精神的な孤独・孤立感を感じることになるのである。





これから一人暮らし世帯は加速度的に増加していく。しかし、それに反比例するように地域コミュニティーが希薄化していく現象は一体なぜなのだろうか。
老人会加入率が極端に少なくなってきている。

厚生労働省は2016年、高齢者の孤立を解消することを目的としたモデル事業を実施する方針を固めた。具体的には、行政機関への相談に導く、地域イベントへの参加を呼びかけるなどして、社会的に孤立する高齢者の問題を解消しようとするものである。この取り組みは、全国約100の地方自治体で実施される予定になっているという。


「1人の方が気楽でいい、なんで窮屈な組織に入る必要があるか 」という考えをどうすれば変えさせることができるか、それこそ地域の力量が問われているのである。

0 件のコメント: