2023年6月20日火曜日

能登線に断ち割られた城址

YouTubeで往時の能登線を走行するビデオを見た。松波駅を出て宇出津駅までの録画だった。このビデオで列車が駅を出発してすぐに松波城址公園の山の下部を走る光景になった。そこでビデオの映像から城址公園が鉄道で分断された箇所の写真を得ることができた。

ぶち抜かれた城址公園

能登線は昭和28年に着工され昭和39年に蛸島まで開業した。実は自分も建設工事に従事したのだが、当時は鉄道が城址をぶち抜くことに何の疑問も持たなかった。しかし、松波城の歴史を辿ると、今では断ち割って鉄道が敷設されることは許されないことである。

 
文明6年(1475年)、畠山3代目当主畠山義統の3男とされる畠山義智により築城されたと伝わっている。以後、6代に渡り松波畠山氏の居城として奥能登一帯を統治することとなる。5代当主・松波義龍の代に、この地の有力豪族松波氏の名跡を継ぎ、松波氏を称し、松波城は能登畠山氏の居城・七尾城の支城的役割を担った。
天正5年、上杉軍攻城により落城、6代目当主松波義親が自害落城したという。
のちに松波城は廃城となった。

城跡断ち切りに間接的だが関与した工事担当者としては胸の痛みを覚えるのである。

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