2022年9月9日金曜日

6kmの直線道路金石街道は利常采配のかがり火測量

金沢で最も長い直線道路といえば金石街道である。江戸時代初期、宮越といわれた港町から市中心部までの物資の運搬のため、利常が整備に着手したという。測量にあたり、金沢城から夜中に計画道路の中心にかがり火を焚いて方向を決めたという逸話がある。

昭和44年3月撮影の金石街道
道路右側に北鉄金石線があった
現在では座標で直線測量は容易で誰でもできるようになったが、衛星がない時代の直線測量は非常に難しかった。利常は頭がいい人だったに違いない。
沿道には明治になって馬車鉄道が引かれ、電化が進むと北陸鉄道の金石線に。「金石の歴史を知る会」会長の林吉三(きちぞう)さん(75)は、北鉄と市電を乗り継いで市内の高校に通った。「単線の金石線は集落をつないで田んぼの中を走った。長田の辺りは工場が多かった」と振り返る。

高校入学は「三八豪雪」のあった一九六三年。「狭い街道は雪で埋まり、車一台がやっと通れるほどだった」。雪害の教訓や鉄道の廃線を受けてその後、県道は拡幅が進められていった。

中橋陸橋の写真があった
左手に少し入ったところに中橋駅があった

この中橋陸橋は開かずの踏切解消のために設置された。

   廃線を目前に控え、金石駅を走行する電車のそばで録音する
         金石町小の児童ら=金沢市金石西で

金石線が廃止されて50年になるという。大野まで電車に乗って釣りに行った思い出があるが、あれからもう60年以上も過ぎ去った。少年老い易く学成り難し・・・全くその通りだなぁ。

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