2022年5月13日金曜日

50年前の金沢医科大航空写真と現在の内灘を比較してみた

昭和47年5月に沖縄が返還されて50年、今日放送された「ちむどんどん」の時代なのだが、その正に50年前に新聞社が撮影した内灘町の金沢医科大の写真があった。

昭和47年5月撮影 この2年後に病院が開設された
沖縄返還もこの年5月である

金沢医科大と病院はまだ建設途上である。河北潟放水路以北は原野で全くの手つかずである。それが現在と比較して状況がどのように変化したかグーグルの地図で比較してみた。

防風林を除いて全く予測していなかった変化があった
右端の河北潟干拓も50年前はなかった
この頃、国道8号線は福久町でストップ、津幡まで開通するのには長時間を必要とした。当時、福久から津幡までは本線部分は高い盛り土がされており、両端の狭い一方通行路を走行していた。今では白尾まで20分もあれば到着する。50年前と言えば29才、人生これから時代だったなぁ。japan as No-1 の時代だった。日本全体が沸き立っていた。これほど日本が落ち込むとは・・・

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

古い記念の写真ですね☺️
この少し後頃に金話局保でサービスオーダーや故障修理で内灘交換機局へは良く行きました。海岸方面では金石局と共に懐かしい所です