2019年11月20日水曜日

40年前の職場仲間から突然のコンタクト

それは昨夜の出来事だった。スマホで何気なくfacebookを覗いたら、友達承認願が点灯していた。さて、どなただろうと確認したところ、思いがけない懐かしい名前が標示されていた。
自分よりも7歳年下なのだが、広島新幹線工事局の業務を終えた昭和50年3月末に岐阜工事局へ転勤し、新設された線増第3課へ同時に配属になった仲間である。昭和50年から昭和62年3月の分割民営までは殆ど同じ課で仕事をした。

課は30人ほどの要員で構成されていて、静岡~愛知間の新幹線騒音対策工事、新幹線保守基地増強工事、岐阜羽島駅雪害対策工事、昭和54年から新たに金沢駅付近鉄道高架化工事等を担当した。

岐阜羽島駅雪害対策工事使用開始現場監査(S53.12)
 線増第3課のある係長の尽力で日本棋院岐阜工事局支部が設立されたのだが、それだけこの課は囲碁熱が高かった。昼休みは囲碁愛好者十数名がリーグ戦を繰り広げ、月末になると成績表にその結果を表示した。

課のあちこちで熱戦が繰り広げられた
facebookで友達となった彼とは好敵手同士だった。
秋には小学校のグラウンドを借りて工事局の運動会が開催されたのだが、宿舎が近かったので奥様方の応援もあり家庭的な雰囲気だった。

各課対抗戦で入賞に輝いた
友達となった彼はシャープの小さな計算機で高架橋の応力計算をやってのけていた。そんなことができる者は彼を除いては誰もいなかった。
その後、分割民営化となり、彼はJR東海コンサルタントで設計のエキスパートとして 大活躍をした人である。

毎年、御用始めには各課ごとに記念写真を撮影した
そんなことで今回の友達申請で昔の出来事が思い浮かんだ。末永くお付き合いのほどをお願いしたい。


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