2019年8月4日日曜日

アポロ50年に思う

この3月、吾々夫婦は子や孫に囲まれながら湯涌温泉で金婚式のお祝いをしてもらった。
あれから50年、経ってみれば早や50年だが、辛いこと、嬉しいことが連続した年月だった。
時を同じくして先日、NHK番組でアポロ11号が月面に着陸し人類が大きな足跡を残してから50年を迎えた特集を放送した。
1969年7月20日。この日、勤務先の食堂で実況中継に息を遂に飲みながらテレビの画面にくぎ付けとなった。それはまるで「鉄腕アトム」のアニメ映画を見ているような気持になった。

特集番組では予期しない危機に見舞われ、宇宙飛行士の帰還が絶望状態にまで追い込まれた模様をリアルに再現していた。
NASAコントロールセンターとアポロ11号とのやりとり、37才だったというプログラマーのお姉さんの大活躍があっての成功だという。

そのお姉さんが取材に応じていた。御年87歳、37才の姿とかけ離れていたものの、話す内容はさすがプロという感じだった。
 

アポロ11号打ち上げ
月面着陸船コロンビア
人類が月面に立つ!
星条旗が立てられた
月面自動車
この月面自動車の実物が羽咋のUFO博物館に展示されている。そのほか、実物を忠実に復元した月面着陸船コロンビアも展示されている。
コスモアイル羽咋に展示中
これに関連し、日本の宇宙開発に目を転じてみた。
1960年(昭和35年)10月24日、糸川と生研の下村潤二朗事務官が現地調査に内之浦を訪れ、久木元峻町長に面会を求めた。「東大の偉い先生が来る」というので、町長や婦人会長の田中キミらが内之浦の入り口で出迎えたが、いつまでたってもそれらしいタクシーが来ない。そのうちさっきやり過ごしたタクシーが町の奥から引き返してきた。あろうことか、タクシーの運転席に乗ってハンドルを握っているのが糸川であり、プロの運転手は助手席に座っていたのである。

そんなことがあって、糸川博士が現地を見て「ここなら行ける」と決断をしたという。
地元では「まさか、こんなとこに」と半信半疑だったらしい。

糸川博士の功績を称えて銅像が建立された

糸川博士の先見の明に感服
アポロ11号月面到達の9年前の出来事だが、今では小惑星探査ロケット「はやぶさ2」が「りゅうぐう」で大活躍しているところである。
月に初めて足跡を残すことと同等以上の技術力を世界に示している。
「日本ばんざーい」である。


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