2018年10月17日水曜日

金沢和傘

小学生の頃、1年に1回だけ雨傘を買ってもらった。買うのは決まって9月に開かれる宇出津の大市だった。買ってすぐ開く番傘は、独特の油の匂いが嬉しかった。
今では番傘を買おうと思っても傘屋が見当たらなし、番傘なんて需要もないのだろう。
昭和36年、岐阜市にあった勤務先へ独身寮から通勤する際に道路の両側には和傘店が沢山並んでいた。岐阜は美濃紙の名産地なので全国から注文が集中していた。だが、やはりそこでも傘屋は一軒もない。

一方、雨や雪の多い金沢で親しまれてきた伝統工芸の金沢和傘。国内唯一となった工房を営むのが松田和傘店の松田重樹さんだ。2年前の2016年7月に3代目の店主になった。観光客の増加で知名度が高まる中、伝統の重みをかみしめながら傘作りに励む。
金沢和傘の特徴は湿った雪の重みに耐えられる頑丈さ。傘の生地となる厚めの和紙を数十本の骨組みに張り合わせ、内側には「千鳥がけ」という独特の補強を施す。最盛期に100軒を超えていた…

石川県の伝統工芸品「金沢和傘」に外国人からの注文が続々と舞い込み、金沢市内で製造販売を手掛ける同市千日町の松田和傘店では、納入まで最長で1年半待ちとなっている。 
 

 北陸新幹線金沢開業を機に、金沢の土産として注文する外国人観光客が増え始めた。店主の松田重樹さん(59)によると、在日大使館の関係者や海外のデザイナーが「日本文化の象徴」として求めることがあった。モミジやササの葉をすきこんだ和紙を使う和傘や、東京五輪のエンブレム、キャラクターに採用された「市松模様」が描かれた傘が人気だ。

店主の松田重樹さん
 金沢和傘は、繊細な模様や色遣い、丈夫な造りが特長で、30以上の工程がある。松田さんは「お客さまに納入が遅れることを伝えて了解を得ている。お待たせして申し訳ないが、丁寧に作りたい」と話した。
2年前までは90歳にちかい店主が制作に励んでおられたが、客が「いくらですか」と聞いてもなかなか返答がなかったという。客の品定めをしていたのかどうかは不明だが、4,5回聞いてようやく「4万円」と教えてくれた傘はこれ。

4万円と返答があった傘
美しき川は流れたり、室生犀星がそう詠った犀川のほとり、千日町に松田和傘店はあります。藩政時代から明治、大正と盛んに作られた和傘は、やがて洋傘が普及し始めると、その職人達とともに姿を消していった。今ではこの松田和傘店先代松田弘さんが、金沢でただ一人の和傘職人だった。30もの工程を一人で一本一本手作りする松田さんの金沢和傘は、雨雪の多いこの地で育まれた伝統を受けて、手入れが良ければ半世紀も使うことができる丈夫さを身上としている。しかし松田さんは「これは、持つ人を美しく見せるための道具だよ」と笑った。 

松田和傘店
この程、「北前船寄港地・船主集落」の日本遺産認定を記念し、千日町の松田和傘店は14日、北前船を描いた金沢和傘7本を小将町の県指定名勝・西田家庭園「玉泉園」でお披露目した。 

北前船を描いた7本の和傘
3代目の松田重樹さん(59)が、全国北前船研究会員で北前船を題材にした作品も手掛ける小松市の九谷焼作家北村隆さん(72)に絵付けを依頼した。 
職人の手による戦前の和紙を使い、松田さんが海をイメージした青の金沢和傘を仕上げ、北村さんは雲母を混ぜた金や銀で、北前船の勇姿や、桜、鶴などを7本それぞれに描いた。
玉泉園では、加賀友禅大使ら8人が北前船の金沢和傘を手にポーズを取り、魅力を紹介した。来年の百万石行列でも大使が北前船の和傘を手に参加を予定するなど、北前船文化を発信するという。 

家宝に1本いかがですか
3代目重樹氏の今後のご活躍を見守りたい。


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