2022年4月4日月曜日

珠洲に本社機能移転した会社に続いて外大出身の若者が宗玄酒造に再就職

珠洲市に一部上場企業の本社機能が移転したことを投稿したことがあるが、今回は外国語大卒の若者が珠洲市に惚れ込み、宗玄酒造に再就職し世界各地を飛び回って活躍しているという記事に感動を覚えた。

世界各国を飛び回るIT企業に勤めていた若者が、20代後半に移住先を探して日本各地を回り始めたという。理由は、都会暮らしの「お金とスマートフォンさえあれば全部問題が解決できる」という環境に常に疑問を持っていたらしい。このような考えを持ったこと自体、今の自分にはある筈もない。否、若くても凡人である自分は、そのような考えには至らないだろう。

酒蔵で商品について説明する万行一也(39)さん

動機は「便利すぎて、人間として機能していない」というのだ。二十代後半、移住先を探して日本各地を回り始めた。2015年に初めて珠洲市を訪れ、やっと出会えたという感覚を持った。朝、地元の高齢女性が両手に捕まえたタコを持って歩いている姿に衝撃を受けた。「ここで暮らせば、自分の食べていく食材を自分でとれる彼らのようになれる」と確信したといいう。

珠洲市内で家を探す途中、市の職員から宗玄酒造を紹介されて面接に行った。17年5月、住んでいた神奈川県逗子市から引っ越した。
外語大卒の英語力を生かし、徐々にイタリアやシンガポールなど世界各国での営業を担うように。「酒について説明すると、能登の歴史と生き方も説明することができる」。能登の生き方に魅了された自身には、うってつけの仕事だった。

宗玄酒造本社
宗玄酒造の裏手酒蔵の至近距離に能登線があった。昭和38年頃の建設工事では、軌道工事の作業員たちは酒の匂いを嗅ぎながら「ここで弁当を食べるのが最高」と喜んでいたことが思い出される。そしてまた、能登線のトンネルを酒蔵にして熟成させ人気を得ているという。旧恋路駅までトロッコ運転ができる設備も残している。いつかは乗ってみたいものだ。

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