2018年12月12日水曜日

日光東照宮・横浜ナイトクルーズ・豊洲市場と皇居宮殿参観(その1)

日曜日の早朝(6時12分)森本発の電車に乗って金沢駅に向かった。天候は曇りながら降雨なし。車中で食べる昼食用の弁当を買いに駅構内のコンビニへ。店内は6個のあるレジは長蛇の列で大繁盛。そこから駐車場のバスへ。金沢から乗車した旅行客は吾々を含め8人。ちょっと少ないなぁと感じた。

定刻7時に発車、北陸自動車道に入り高岡へ。不動寺あたりから路肩に雪が積もっていた。こりゃえらいことになるかも・・・と心配になった。高岡駅前で客を10人乗せて小杉駅に。そこで6人乗って富山駅にも寄った。富山からは11人が乗車して35人全員が揃った。富山ICから再び北陸自動車道へ。家々の屋根にはうっすら雪が載っていた。
その雪も新潟県内に差し掛かって殆ど積雪がなくなった。

往路の行程は沼田ICに降りるため関越自動車道を回った。湯沢あたりは銀世界が広がった。沼田で降り、曲がりくねった峠道を超え日光田母沢御用邸記念公園に向かった。
以前、反対方向からバスに乗って走行したことがあるので、峠を越えれば中禅寺湖に出ると思っていたのだが、途中でルートを変えたため大回りしたことになる。最初の観光地である田母沢御用邸に3時40分頃到着した。


田母沢御用邸玄関
日光田母沢御用邸は、日光出身で明治時代の銀行家・小林年保の別邸に、当時、赤坂離宮などに使われていた旧紀州徳川家江戸中屋敷の一部(現在の三階建て部 分)を移築し、その他の建物は新築される形で、明治32年(1899)に大正天皇(当時 皇太子)のご静養地として造営された。その後、小規模な増改築を経て、大正天皇のご即位後、大正7年(1918)から大規模な増改築が行われ、大正10年(1921)に現在の姿となった。

建物と庭
昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、大正天皇をはじめ、三代にわたる天皇・皇太子がご利用になられたという。戦後、博物館や宿泊施設、研修施設として使用された後、栃木県により3年の歳月をかけ、修復・整備され、平成12年(2000)に記念公園として蘇った。
建物は、江戸時代後期、明治、大正と三時代の建築様式をもつ集合建築群で、現存する明治・大正期の御用邸の中では最大規模のものである。これらの建物や庭園から、当時の建築技術や皇室文化を垣間見ることができる。

部屋数が100以上もあるという

平成15年(2003)に貴重な建造物として「国の重要文化財」に指定され、平成19年(2007)には「日本の歴史公園100選」に選定された。



ここの見学が終って宿泊する鬼怒川温泉のホテルに向かった。
ホテルに到着して、「おやっ」と思った。何と8年前の年末から平成22年の元旦にかけて泊まったホテルだった。
8年前にも泊まったホテルだった
8年前と何が変わったかというと、新たにベッドルームが窓際に改装されていた。このようなタイプのホテルが増えている。



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