2018年12月20日木曜日

3年間履いたアツバ下駄

中学に入学したのが昭和30年4月なのだが、その時に何が一番変わったかといえば履物だった。小学校時代はゴム製の短靴、これは中々の優れもの、小川で獲った小魚を入れるのに利用できた。で、中学入学から卒業まで、どこへ行くのもアツバを履いた。ソフトボールする時も履いていた。

登下校時の校門付近はアツバのガラガラ音がとてつもなくうるさく聞こえた。1年くらい履いていると左右の下駄の歯の減り具合の違いが目立ってくるので、左右を履き違いにしたものだが、これが履いてみると非常に履き心地が良くない。何度も転びそうになったが、1カ月くらいすると馴染んでくる。

アツバ下駄
 資料を調べると、歯の厚いものを厚歯と言い、特にバンカラと呼ばれた学生に愛用された。
旧制高等学校生徒が履いていたのもこのタイプで朴歯の高下駄と呼び、マント、弊衣破帽、高下駄が 高校生のシンボルとされた。
金色夜叉で貫一がお宮を下駄で蹴り飛ばす場面で貫一が履いている下駄もこれだという。
「都ぞ弥生」の寮歌で知られる北海道大学の恵迪寮は、ぼろぼろな学生服に、破れた学帽、高げた姿の「蛮カラ」の代名詞となった寮で、恵迪寮の学生も履いていたらしい。


バンカラといわれた学生

漢字は「足駄」など様々な字があてられていた。「アシダ」は上履き・下履きを問わなかったが、これを下履きに限定した語が「下駄」である(「駄」はアシダの略)。
日本には緒を用いる履物として、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄、草や樹皮などの柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、緒が踵まで覆い足から離れないように踵の後ろで結ぶ草鞋(わらじ)の3つがある。下駄は中国及び朝鮮半島にもあるが、日本語の下駄にあたる言葉はなく、木靴まで含めて木履という。

ちなみに足駄(あしだ)は、歯を台に差込む構造のもの(初期には一木から繰りぬいた)。歯が通常のものよりやや高い。平安時代後期から江戸時代ごろまで用いられ、江戸期にはもっぱら雨天の履物であった。また、旧制高等学校生徒が履いていたのもこの種の下駄である(=朴歯の高下駄)。マント、弊衣破帽、高下駄が高校生のシンボルとされた。

そんなアツバの3年間は、高校入学でプツンと切れることになった。校則で履物は革靴に指定されていた。初めて革靴を履いて何だか大人になったような気分がしたものである。
しかし革靴も踵の片減りが激しかった。靴屋で金具を取り付け、しばらく履いたら靴底全体も片減りが目立ってきたので金具を2,3か所打ち付けた。
このため、デパート内を歩くときは、とても滑りやすく何度も転びそうになった。

ついでながら下駄に係わる慣用句というものを調べた。
下駄を預ける - (自分に関する問題などに関して)決定権を譲り全面的に相手に任せる(自分では動けなくなることから)。 そういえば、こういう手を使ったこともあるなぁ。

下駄を履かせる - たとえば、絶対温度が摂氏に273を足した値であるように、何らかの数量が負の値にならないようにするなどの目的で、一定の数量や物量を足すこと。下駄を履くと背が高くなることから、下から押し上げるイメージの言葉。 今、大学入試でもめているなぁ。

下駄を履くまでわからない - (勝負などに関して)全て終わる(帰るために下駄を履く)まで結果はわからない。こんなこともよくあったなぁ。

と、現代では殆ど忘れ去られた下駄であるが、結構、下駄にまつわる物事が多い。


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