2023年8月2日水曜日

山田長政は凄い人物だった

平成6年4月、国鉄清算事業団名古屋支社勤務から、出資会社の名古屋支店に3年間出向した。
出向中はバブル時代の終焉の頃だった。出向中の3年間では毎年海外旅行があった。出向最終年の平成9年10月に東南アジアのタイに旅行した。現地のバスガイドに「田舎に行きたい」と話したところ、アユタヤにしようと決まった。

日本人街跡地

アユタヤといえば山田長政が有名。ザっと略歴を調べてみた。13000人ほどが暮らしていた日本人町の頭領として活躍。2600人~800人といわれる日本人傭兵隊長を務める。アユタヤ王朝に攻め込んだスペイン艦隊と戦い、2度にわたり勝利する。シャム国使節来日の際、老中に斡旋状を送って、日本とシャムの国交・親善に尽力する。シャム・日本間の貿易に積極的に関わり、王室財源に寄与する。アユタヤ王朝の最高官位のオークヤー(大臣級の位)に昇進。シャムの一地方、リゴール国の王位得て一国を治める。
凄腕を発揮して王位を得たとある。

アユタヤから150km前後の水上マーケット

このころのタイは通貨不安で企業の倒産が頻発していた。円高がすすみ150円前後の頃だった。交通渋滞が激しく、高架鉄道の建設途上にあった。王宮見学では広大な敷地に驚いた。あれから25年の年月が・・・

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