2013年4月27日土曜日

中山道中津川宿(その4)超繁忙対策

国鉄は第2次5か年計画により近代化を推進してきたが、資金不足のため昭和39年度で打ち切られた。そこで昭和40年度から新たに多額の資金を借入れして、昭和43年10月を目標とした「第三次長期計画」を策定し、輸送力増強を推進して国鉄の屋台骨を再構築することになった。
部内では「ヨンサントオ」と呼称され、吾々技術系職員にも大きな影響を及ぼした。
日本海海戦の開戦にあたり、東郷連合艦隊司令長官が隊員に訓令した「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。」の同義語として、あらゆる機会に「ヨンサントオ」と檄が飛ばされ尻に鞭が当てられた。
国内公共事業や民間設備投資が年々増加の一途をたどり、建設技術系新卒者の需要数が供給数を大幅に上回る現象が顕著となった。国鉄にあっても近代化・合理化を図り輸送力増強を急ぐ必要があった。
このような情勢により、国鉄の建設事業費が飛躍的な伸長をした結果、人員不足が慢性的となって吾々にしわ寄せされていた。毎月100時間を超える超勤が当たり前になったのである。
そんな中、岐阜工事局でも昭和40年新卒者が大量採用された。応募が少ないため中々採用予定数に至らず、二次三次と追加募集され、人事担当者は九州地方の高校にまで募集に出かけた。
4月早々、新採者たちは現場勤務を命じられた。
中津川工事区でも1名が配属され、私の部下となった。
新採者の指導
人員強化のほか業務改善策として、個人的な技術力に依存していた構造物設計を、標準図として統一されつつあった。外部委託も導入され始め、コンサルタント業が脚光を浴びてきた。
国、地方自治体においても設計業務の外部委託導入が始まった。
後年、道路や河川工作物、上下水道、都市計画関係業務等の全てがコンサルタントに依存するようになってしまった。その結果、国鉄も含め役所の建設技術者の技術力が失われてしまう弊害が発生した。
現場調査測量をして詳細設計ができる技術者は、現在では存在するところがなくなった。
コンサルが設計した図面が適正なのか判断できない幹部が、国や地方公共団体に大勢いるのはそういう職場環境が失われた結果の事実である。
また、工事予定価格を算定する積算業務も、個人的に現場経験を積み上げて作業種別ごとに就労人員を査定する能力を鍛えてきた。しかし、個人差があり時間もかかった。増大する業務を消化するためには、積算基準書の整備を行い効率化を図る必要があった。5,6年後、積算業務のコンピュータ化が実現することになる。この業務においても、積算歩掛とはなんぞやと理解して積算できる人間を失う結果を招いている。
現場調査から詳細設計ができる人間は昭和の化石となった。

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