2013年4月16日火曜日

中央本線多治見工事区勤務を命ず

昭和39年3月、中央本線高蔵寺・定光寺間線路増設工事の発注業務を急ぐため、係り総動員して持ち出し出張をすることになった。
出張先は地滑り調査に行った定光寺工事区併設の寮であった。持ち出し出張を「缶詰」と称していた。計算機、製図用具、積算基準書等を柳行李に入れ、宿泊箇所に持参して出張期間内に設計図、工事数量計算書、積算書を仕上げなければならない。
早朝から深夜まで、胡坐をかいての作業のため足がしびれ、腰が痛くなる。缶詰とはうまく表現しているものだと妙に感心した。
私の仕事は縮尺1/100横断面図に土工定規に基づいて計画線を記入し、切土、盛土の断面積を求積したり、土留擁壁の面積計算が主であった。
1週間でその作業を終え本局に帰った。きつい缶詰作業ではあるが、出張旅費は宿泊代を差し引いてもかなりの余裕があった。
その浮いた旅費で3月下旬に九州旅行に行くことにした。行先は当時新婚旅行のメッカといわれた別府、日南海岸、鹿児島まで足を延ばした。
日南海岸
青島
新婚さんがいっぱい・こどもの国
4月初旬、岐阜工事局構内に鉄建公団岐阜建設事務所が開設された。この事務所は1年ほど当地にあったが、名古屋の繁華街にある御園座5階に本拠地が移された。
5月中旬、係長から事前通知書が渡された。本局勤務7か月にしてはあまりにも早い現場勤務命令であった。公団転出を断ったためなのかという思いがよぎった。
6月初旬、新勤務地の多治見工事区に赴任した。


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