2013年4月12日金曜日

公団要員確保の標的は君だ

地滑り対策方針が決定し長期出張から解放されて主管課に戻った。新たな業務として高蔵寺・定光寺間の複線化工事計画が開始された。
緊張の連続した現場業務から室内業務に変わって、精神的に解放感に浸りながら仕事を続けることができた。
昼食時間が近づいてくると臨雇採用の適齢期の女性が、課内職員にパンや牛乳などの注文を聞いて回った。昼になると机の上に注文の品物を配っていた。
局内各課に数人の臨雇女性がいて、タイピストや電話交換手を合わせると80人前後の適齢期の女性がいた。
男性職員は33年採用から増え始めたので、局内では誰と誰とがいい仲になっているという噂が飛び交った。そんな職場環境だったので、職場恋愛で結婚したカップルが続出した。
私は21歳になっていた。ある日、2,3歳年上の女性が労音のコンサートに行かないかと誘ってくれた。
坂本博の「喋々夫人」を一緒に観に行った。オペラは初めてだった。異国情緒たっぷりの舞台装置に魅せられた。観劇が終わって喫茶店へ。オペラの話や趣味嗜好について話が弾んだ。しかし、恋愛感情というものではなく、女の友達という関係であった。その友達の友達も2,3歳年上だったが、3人で喫茶店へよくだべりに行くようになった。
昭和38年が暮れようとした頃、ある日課長補佐が私に話があると云って隣の椅子に腰かけた。
そして話が始まった。「君は来年4月から国鉄の建設業務のうち、新線建設業務が鉄道建設公団に移管されることは知っていると思う。岐阜工事局管内で施工中の能登線、神岡線は鉄道建設公団に業務が移管される。君は能登線建設業務を経験しているので、建設公団に行ってもらいたい。」と切り出された。
私としては組織の実態がない公団に勧誘されても・・・と判断に迷った。しばらく考えさせて貰いたいとその場を凌いだ。
ところが来る日も来る日も課長補佐が隣の席に腰かけ、執拗に公団転出を迫られた。
鉄道運賃割引証が発行されることになったし、給与は現在の基本給に名古屋の地域給を加算し、さらに3号俸アップする。どうだ、こんな好条件に迷うことは何一つない。いい返事をしてくれないか。と毎日毎日繰り返された。あたりを見渡してもそんな勧誘を受けている者はいなかった。私がターゲットになっていた。私の心の隅に「国鉄」に拘るものがあった。近い将来、世界に冠たる新幹線をこの手で造ってみたいという願望がほのかにあった。
そして自分の席になるべくいないように逃避することにした。逃避場所として青写真室や組合事務室を選んだ。そのうち勧誘者はそんな行動に出た私を説得するのは困難だと諦めてくれた。
勧誘にあたった人は公団発足とともに、鉄建公団中部地域を管轄する岐阜建設事務所の調査課長に就任された。
過密状態の寮では20畳敷きの娯楽室が設けられた。そこは麻雀部屋と化した。ネギを背負ったカモもどうにかゲームを楽しめる程度に上達した。
3月中旬、係りの後輩2人と3人で伊豆方面に旅行することにした。

石廊崎灯台で
伊豆市の了仙寺では秘宝の仏像を拝んだ。秘宝はもう見ることができなくなっていると思われる。
「天城越え」で有名な浄蓮滝
またある日は同期生の自宅である蒲郡市や近くの三ヶ根山に出かけた。
蒲郡市の近く三ヶ根山頂上で
このころ社交ダンスやアイススケートが大流行していた。スケートも役所の女性たちと何度か遊びに行った。

0 件のコメント: