2017年4月10日月曜日

生死を彷徨すること5時間

3月27日付「未体験ゾーン9°8分の高熱3日目 」以降の闘病記録である。

高熱が続いたため3月29日朝、行きつけのクリニックで診察を受けた。体温は急上昇し、ついに40℃を突破、40.3度を記録した時は既に意識不明の状態となった。
女房は「ここでは対応が困難なので紹介状を書きます」と先生に告げられ、直ぐ浅野川病院に向かった。
ストレッチャーに乗せられ診察室へ。血液、尿等の検査を済ませてから病室へ移動したという。
午後3時、意識が回復し、「何でここにいるのか」と女房に聞いた。5時間も生死を彷徨したことになる。

4人部屋の病室。
病名は「肺炎球菌」と診断された。この病気で命を落とす人も多いと説明があった。免疫力が極端に弱くなってこの菌が暴れ出したという。
朝晩2本づつの点滴が日課となった。
部屋は4人部屋。入れ替わりが激しい。やがて97歳という男性は深夜も友人とでも話しているようにしゃべり続けた。これには参った。
入院1週間ほどで点滴が朝晩1本づつに減少した。抗生物質は当分の間続けないといけないという。

看護師が気を利かせて「病室を変えましょうか」と言ってくれた。直ぐOKの返事をして2人部屋に変わった。
回復するにしたがって退屈するようになった。なんせ寝ているのが定位。暇に任せてスマホでネット情報を探った。アメリカがシリア攻撃、オランダでテロ、藤あや子が娘より年下の男と婚約発表・・・等々、暇つぶしにはもってこいのスマホではあった。

そして13日目の本日午後、無事退院して自宅に帰ることができた。
入院中気がかりだった安全パトロール隊の当番表作成に取り組み、明日午前中にプリントして配布を終える見込みとなった。自宅へ隊員から当番表はどうなってる?との問い合わせが数件あったようだ。遅ればせながら登校3日目から学童見守りができるようになった。当番表作成を手掛けて10年も過ぎた。バトンタッチしたいが相手が中々見つからない。

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