2017年4月16日日曜日

青年団の演芸会

昭和30年代の前半までだろうか、青年団の活動の中で演芸発表会というものがあった。演芸発表会は旧正月に、会場は小学校の講堂で行われた。
舞台は各教室から教壇が運び込まれ、それで上手く舞台が組み上げられた。演芸会の当日は老いも若きも会場に殺到し超満員の盛況だった。

各在所の青年団は毎晩遅くまで神社の社殿で練習を重ねた。子どもに踊りを教える人は、手回しの蓄音機で何回も同じ曲を掛けて指導に明け暮れた。
婦人会のおばちゃんたちも大勢集まって練習に励んだ。

各在所には得意分野があって、「やくざもの」や「国定忠治」に人気が集まった。舞台の演出にも工夫がこらされ、出し物に決まって漫才をする在所もあった。
中には歌舞伎が演じられ、勧進帳や仮名手本忠臣蔵といった本格的なものまであった。婦人会の踊りも演芸会に花を添えた。

旧盆には草相撲大会が開かれた。神社の広場に土俵が設けられ、仮設の観客席まで設置された。青年団が勧進元となり、商店街や旦那衆に寄付を要請した。奥能登一円から相撲取りを招待し、午後から夜9時頃まで熱戦が続いた。大勢の観客が詰めかけ、神社広場の端に縄を張り巡らして目録がずらりとそれに取り付けられた。あの頃の青年団活動はスケールがけた違いに大きかった。
立行司は世襲で何代も続いていた。行司の衣装も本格的なものであった。

青年団の活動が急速に衰えたのはテレビの普及が進んだためである。青年団の演芸会等の娯楽に感心が薄くなったのである。昭和40年代になるとぱったりと途絶えてしまった。
あの活発だったエネルギーがとっても懐かしく思える。






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