2017年4月21日金曜日

奈良市内に八つの世界遺産(その2)

前回は八つの世界遺産のうち①東大寺②春日大社③興福寺④元興寺を紹介した。
今回は①平城宮跡②唐招提寺③薬師寺の三か所である。
平城宮跡は近鉄電車で大和西大寺駅で下車し、徒歩で現地に向かった。私が訪れた時は発掘調査が盛んに行われており、埋蔵物等の出土品は倉庫に整理格納されていた。

平城宮の跡地はべらぼうに広い。南の端に朱雀門が見えるのだが、中々たどり着けないのである。
平城宮エリア
平城宮だけでも広大なのだが、平城京は縦・横ほぼ5kmの壮大な都市計画に基づいて造成された。工期はたったの三年、人口10万人が住んだという。時は西暦700年ちょっと。長安をまねて計画されたのだが、なぜ急いで造成されたか。それは日本の国力を誇示するため背伸びをしたのだ。
唐との交流が盛んに行われたが、唐の役人を呼び日本も中国に引けは取らないことを示したかったのである。
朱雀門の復元
だが10万人が生むには問題が多く発生した。水がない、水運がない、これが致命傷となって50年くらいしか機能しなかったのである。

ここから2kmほど南へ歩くと唐招提寺である。
私が訪れた時は大改修が行われていて、建物がすっぽりとテントの中に隠れていた。
何千枚もの瓦に番号が付けられ、広場に整理して積まれていた。
唐招提寺全景
工事中の本堂の屋根組が見学できた。明治時代に改修が行われたが、平成の大改修は大規模なものとなった。金堂には仏像が安置されていた。
金堂の仏像群
唐招提寺は、鑑真が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。

唐招提寺から徒歩数分で薬師寺に行ける。
薬師寺
左側が国宝の東塔である。
現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。屋根の出が6か所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては他に類例のない意匠を示す。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている。

金堂には薬師三尊が安置されている。
薬師三尊
実物は大きい。写真では本体の色が金色のように見えるが、実物は鼠色と濃い緑色が混ざったような色合いである。薬師如来像を見ていると、あらゆる病気が治るような気持ちになるのである。
薬師寺は檀家が一人もいないという。維持管理・運営費用はどこから捻出されるのだろうか。

薬師寺から奈良駅前のホテルまで歩いて帰ったのだが、田んぼの中をとぼとぼ歩き遠いなぁと何回もつぶやいた。




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