2013年5月4日土曜日

中山道中津川宿(その7)土石流で木曽谷一帯に甚大な被害発生

昭和41年(1966年) 6月24日、木曽谷一帯に集中豪雨による土石流が発生して甚大な被害があった。三留野で連続雨量170.0mm。重傷1名、軽傷9名、住家全壊38戸、半壊浸水111戸、公共土木費が4億4,165万円、その他鉄道等を含む総被害額12億4,953万円。神戸沢では土石流が発生し神戸集落に被害を及ぼした。

中津川においても前日夕刻から雨足が強くなり、工事区職員全員が雨合羽を纏い風雨をついて現場巡回に出た。特に橋りょう掘削部分の仮土留締切工に異常がないか入念に確認していった。

翌日風雨が治まったので再度巡回に行った。盛土した法面が数か所流出していたので請負業者に直ちに修復するよう指示した。

25日未明、中津川市内国道19号線を走行中の牛乳配達車が土留め壁の倒壊により運転手が即死する事故が発生した。

三留野駅周辺も土石流に巻き込まれ鉄道が寸断された。
流出法面修復中
この土石流で三留野構内が埋まっている状況を確認しに行こうと話がまとまり、職員4人が単車2台相乗りして現場に行くことになった。

駅構内の被害状況を写した写真が見当たらなくて残念だが、急峻な谷合から流出した土石が駅構内を埋め、国道を横断して木曽川に至るまで家屋の残骸とともに残留していた。
誰かが折角ここまできたのだから妻籠から大平峠を越えて飯田まで行こうと提案した。即実行に移すことになった。
飯田市に到着して天竜峡を経由して塩尻に向かった
大平峠の頂上付近で食べた五平餅の味が今でも忘れられない。
飯田駅前で休憩
飯田市手前の発電所で一休み
天竜峡を見物して帰路をどうするか迷った。天竜川沿いの道路を走り豊橋に出て岡崎から多治見を経由して帰るのはどうかと考えたが、余りにも距離が長すぎるため辰野、塩尻に出て国道19号線を走ることに決定した。
当時は100%砂利道。土ぼこりをかぶり激しく振動する走行に耐え、中央アルプスの麓をぐるり一周する結果となった。帰着しても単車の振動が全身に残り大ツーリングの余韻がなかなか消えなかった。

0 件のコメント: