2013年5月19日日曜日

中山道中津川宿(その12)スケートとスキー

24歳の誕生日が過ぎて間もなく昭和42年が明けた。
3日早朝、実家からバスで宇出津まで出て宇出津駅から金沢行き急行能登路に乗った。金沢駅から特急しらさぎで名古屋に。そこで中央線普通列車に乗り換えて午後11時過ぎ中津川駅に到着した。14時間の旅であった。
帰省時に忘れられないアクシデントがあった。名古屋駅から特急しらさぎに乗車した際、カメラを座席前のフックにぶら下げた。そして米原で進行方向が反対になって座席を回転して座りなおした。
家に帰ってカメラがないことに気付いた。米原でカメラをフックから外して掛け直さなかったのである。列車は帰省客で満員だったのでカメラはもう戻ってこないと諦めたが、一応、駅に忘れ物として届けた。翌日駅から電話があり、カメラが遺失物として保管されているので受け取りに来るようにと連絡があった。例のニコンSPである。これにはとても嬉しく思った。終着駅富山で降りる人がカメラを見つけて車掌に渡したのだろう。感謝感謝であった。
4日、御用始めのセレモニーがあって麻雀でその日が暮れた。そしてスキーに行こうと話が決まってスキー、ストック、靴、アノラックを買い揃えた。当時スキー靴だけで2万円もした。
1月中旬、先輩と二人で藪原スキー場に行くことになった。
藪原スキー場
スキー場に到着して滑降したが、何せゲレンデの踏み固まった雪面を滑るのが初体験。子供のころスキーはやったが、山スキーなので雪面はふわふわの状態であった。慣れるまで怖い思いをした。次の週も一人で出かけた。帰り際にゲレンデで他人とぶつかって転倒した。その衝撃でメガネが飛んで行った。随分探し回ったがメガネ本体はどうにか見つけたが、レンズ1枚が外れて見つからなかった。帰り道は不都合この上なかった。
2月にははるか遠方の赤倉まで一人で出かけた。
赤倉スキー場
この時もアクシデントがあった。レストランで昼食して店を出るとき、自分のストックが見当たらない。あるのは1本が雪止めの輪がないものであった。替えられたのであった。
しかたがないのでそれを持って出た。ところが、輪がないストックはズブズブと雪に沈んでしまい非常に危険な目にあった。そんなことで早々に帰ることにした。
当時はスキー愛好者が激増し、名古屋発夜行の急行赤倉はスキー客で超満員であった。
中津川上流にアイススケート場があった。夏は釣堀となっていた。生まれて初めてスケートをした。
廃業は何年前だろう
この冬はスキーとスケートに明け暮れた。そして4月1日付岐阜工事局土木課勤務の辞令が発せられた。


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