自分よりも何と32歳年上の人たちだった。
その中で最も話をされていたのは賀川滋子さんという人だった。
114歳という高齢にもかかわらず、しっかり思い出話などをされたのだが、これには驚いた。元女医さんだったというが、8歳のころ、故郷の奈良の練兵場に陸軍の飛行機が飛来した記録が残されていた。
当時は市民が資金を出し合い、献納機と呼ばれる飛行機を軍に寄付するほどで、飛行機はまさに「希望の象徴」だったという。
32歳年下の自分は、「俺も80を回り歳くった。あと何年生きれるか?」と自問自答する年になったのだが、賀川さんの話を聞いて、「よし、俺もまだまだ先は長い。頑張ろう。」という気にさせてもらった。
0 件のコメント:
コメントを投稿