2019年10月1日火曜日

五十数年前の出来事は「夢のまた夢」


昭和38年10月、能登線宇出津松波間が開業し、一区切りしたので鵜飼工事区勤務から岐阜市にある本局(岐阜工事局)土木課勤務となった。土木課第八係の担当業務は中央本線名古屋塩尻間のうち、高蔵寺~定光寺間の複線化工事であった。

定光寺~多治見間は急峻な山合いに流れる玉野川に沿って線路があるのだが、トンネルがいくつもあって、かつ曲線半径の小さいカーブが多いため、複線の新ルートで計画された。このため、愛岐トンネルと称する長大トンネルが新設されることになり単線部分は放置されることになった。


名古屋から長野・塩尻を通り、東京に至る中央線は、塩尻以東を中央東線、以西を中央西線と呼ぶ。中央西線の名古屋-多治見間 は、旧逓信省鉄道作業局によって明治33(1900)年に開通された。このとき、現在の日本三大ニュータウンの一つとされる春日井市・高蔵寺ニュータウン 直近の裏山中腹を貫き、全国でも珍しい14基(うち1基はその後撤去)ものトンネルが掘られた。明治期の煉瓦製トンネル群としては、最多である。この部分が長大トンネル新設によって放置された。



そして、それから四十数年を経たある日、ひょんなことから 放置されたトンネル群が発見されたのである
トンネル発見に至る全ての始まりは、平成17年に開始された春日井市内のJR勝川駅高架化改修工事にあった。この駅には、明治期の鉄道開業以来の赤煉瓦土台のプラットホームが残っていた。

しかし、駅舎とともに、この土台も撤去されることになったため、廃棄される運命にある百年前の赤煉瓦を駅前再開発のモニュメントとして再利用する「市民赤レンガ剥ぎ取り隊」という町おこしイベントが開催された。 そのさなか、ある古老から「そんなに大切な煉瓦なら、多分市内に煉瓦のトンネルも残っているはずだよ」という一言。この一言が、忘れ去られていた 「愛岐トンネル群」との運命の出会いをもたらした。 


という経過をたどって、愛岐トンネル群保存再生委員会なるものが設立され、年2回現地見学会が開催され既に何万人もの人が訪れたという。
実は、このことをネットで偶然に見つけたものだった。

煉瓦トンネルが14本も連なっていた
トンネルとトンネルの間の旧線路敷
新設された愛岐トンネルは、土木課に転勤したときには随分掘削が進んでいたのだが、
入り口付近のトンネルアーチクラウンが側壁クリートとズレが生じていた。原因は地滑りだった。山の頂上に4条のピアノ線を張って変状調査をすることになった。一定以上の変位が発生した場合は駅の信号機と連動していて赤信号を現示させるシステムだった。

その観測要員として現地出張を命ぜられ、約1か月間ほど毎日山登りをして用紙交換や計器のインク補充の用務をした。そんな思い出がある中、昨日、そんな関係記事を見て感慨ひとしおのものがあった。

今となっては「夢のまた夢」の話だが、ネットがあればこそこんな活動を知ることができるんだねぇ。


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